劇団・夜想会「俺は、君のためにこそ死ににいく」観劇。現代の”Path of Glory”

 4月12日から17日まで、東京新宿の紀伊国屋ホールで開演されている、劇団夜想会「俺は、君のためにこそ死に行く」(原作・石原慎太郎、脚本/演出・野伏翔)を批評家・西村幸祐先生からのお誘いにより観劇した。

 本劇は、2007年に公開された新城卓監督による同名映画が元(原作は同じ石原氏)を下敷きにした演劇であるが、生憎私は原作映画を観賞しておらず、全く無知識のまま観劇に臨んだのである。この大震災という国難のご時世に、「もし震度4以上の揺れが起こった場合は一旦中断、それ以上の破壊的揺れの場合は公演自体中止」の野伏氏の舞台挨拶は、正に危機迫るものがあった。実は本劇の脚本・演出家である、夜想会代表の野伏翔氏は、過去に押井守監督の伝説的実写作品「トーキング・ヘッド」(1992年公開)の鵜之山役として出演しており、また本劇の主役といってよい食堂の女将役・石村とも子氏も同じく「トーキング・ヘッド」の多美子役として出演しており、共に主演的存在であったことを考えると、押井オタであり、プロダクション・アイジーの熱烈なファンであるアニオタの私は、この不思議な縁に感慨深いものがあった。


押井ファンにお馴染み、「トーキング・ヘッド」(1992年)に出演されている野伏氏と石村氏。

 さて、本劇はレイテ沖海戦(1944年10月)における敷島隊(神風特別攻撃隊の最初の出撃)を端緒に始まった一連の特攻作戦を担った若き志願兵たちと、その特攻を見送る女子奉仕隊の刹那の交流(鹿児島・知覧が舞台)を描いたのが主軸である。

 私が驚嘆したのは、本作は決して「特攻」を美化したものではない、ということであった。「零戦に250キロ爆弾を抱いて敵空母に突っ込む」ことは、後世の戦史研究でも明らかになるとおり、必ずしも戦術的合理的があったものでも無かったことは冷厳な事実である。劇中に登場する特攻攻撃の創始者大西瀧治郎中将が「統率の外道」と自らをしてそう呼んだように、よしんば草創期の特攻作戦で護衛空母(10,000トン程度)を屠る戦果はあっても、米軍艦船のダメージ・コントロールの進化と、対空砲火(VT信管の炸裂高度調整による近接特攻攻撃の阻止)によって、大戦中陸海併せて7,000人弱の戦死者を出した一連の特攻作戦は、遂に米軍の正規空母を撃沈することには至らなかった。この経緯は、『エレクトロニクスが戦を制す』(NHKスペシャル ドキュメント太平洋戦争 第3集)に詳しく、また必ずしも特攻攻撃に頼ることなく、通常戦法で極めて多くの戦果をあげた部隊の存在は『彗星夜襲隊〜特攻を拒否した異色集団〜』に詳しいのでそちらを参照されたい。

 本劇では、この「特攻の合理性」について、若き志願兵自らが散々躊躇する葛藤が見事に描写されている。「特攻は戦術的に是か非か」という軍人であるならば誰しもが問うその本質的難題と苦悩。必ずしも特攻を神聖視するわけではないその真摯な描写に胸を打たれた。

 更には本劇では、軍隊・組織の不条理さと矛盾を炙り出していることも特筆に値するといえよう。居丈高な憲兵隊が不条理な体罰を民間人に加える。石村とも子氏の「死んだら神様になるあの子たち(特攻兵)に、天国でも検閲が必要だと言えるのか!」の件は圧巻である。

 私は悪戯に戦前を美化する作品は極めて眉唾に思えてならない。名著「戦前の少年犯罪」に詳しいように、戦前でもおかしな人間、異常な人間、馬鹿な人間は確かに(若しくは現代以上に)存在したのは事実である。それを糊塗して、戦前絶対善良史観は「となりのトトロ」における宮崎駿の「民青センス」(農村には朴訥な善人しか居ないという毛沢東主義サヨク描写)的欺瞞だし、かといって本多勝一的戦前悪魔史観もデマ・オカルトの類であると私は見ている。
 末端末端の民間人、兵士たちは善良でも時としてそれが組織の中に内包されたとき、人は狂い、人は道を誤り、人は罪を犯すのは古今東西どんな時代でも真実なのではないか。軍隊という組織、時代という体制に狂わされた運命のなかで、それでも懸命に自らの職分を守り抜き、そしてその矛盾に悩む若者たちの描写こそ、私は正しいあの時代の実相であったような気がしてならない。


戦後すぐの農村を、善人だけが住む理想郷然として描いた「となりのトトロ」には、監督宮崎駿の思想的潮流を基礎としている(民青センス)。

 そのような意味で、本劇は組織の中の不条理さと組織が歪んでいく恐怖と悲劇を描いた、S・キューブリック監督の「突撃」(原題:Path of glory)と類似しているように思う。一人ひとりの兵たちの如何に人間的かを描きだすことにより、抗しきれぬ戦争と組織という潮流の中で、なお矛盾を自覚しながらも、職務・任務に没入するしかない様を精緻に綴ったキューブリックの「突撃」に並ぶ、戦争劇の傑作と評するしかない。


S・キューブリック初期の傑作「突撃」(原題 Path of Glory)

 国の為に死ぬ。国の為を思うこそ生き抜く。この方法論を巡って二人の特攻兵が殴りあう場面がある。本劇ではこの問いに明確な答えを出してはいない。逡巡すれどもすれども、尚答えなどないこの問いのなかにあって、諦観でも奮起でもない、絶望の先にある新たな境地を暗喩したかのように、阿波踊りを踊り狂い暗転する終盤のシーンは、実に象徴的であり美しかった。答えなどない。しかし、その暗黒の中に光は、確かに戦争を生き残った人々とその後世日本人である戦後世代の我々の中にこそあるということは、一縷の「希望」として蛍が指示したように思えてならないのである。テンポよい極めて精緻に計算された演出の技、心地よい笑いのセンスも抜群。私のような素人でも、どれをとっても第一級であると分かる。是非劇場に足を運ばれたい傑作舞台である。(17日まで)

劇団夜想会公式

紀伊国屋ホール





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