特集〜ローマ帝国に重ねる宮崎駿盛衰史〜

 さて、いよいよ『東のエデン』劇場版第1作公開まで後わずかに迫った昨今、読者諸兄はいかがお過ごしだろうか。丁度今日(09.11.20)、例によって金曜ロードショー宮崎駿監督の不朽の名作『天空の城ラピュタ』が放送されていたのは読者諸兄も承知のとおりであろう。放送、というよりも金曜ロードショーで同作が放送されるのはわが国民にとってはもはや恒例行事であると言っても過言ではあるまい。金曜ロードショーで放送されるスタジオジブリの代表格は、まず『天空の城ラピュタ』・『となりのトトロ』・『風の谷のナウシカ』・『魔女の宅急便』そして『ルパン3世カリオストロの城』(若しくは『紅の豚』)、この5作ないし6作が定番と相場が決まっている。この「5強+1」が金曜ロードショーにおける宮崎駿監督作品の、いやわが国に於ける長編アニメーション作品の定番放送作品と言っても過言ではあるまい。詳細資料⇒こちら

 とりわけ、『ラピュタ』はその放送回数もさることながら、その名シーン・名台詞など毎回「実況」と称してネット上で盛り上がりを見せるのは周知のとおりである。では何故、『ラピュタ』はこれほどまでにわが国国民に愛される存在であるのか。更には、何故同じ監督作の『ハウルの動く城』や『千と千尋』はこの様に金曜ロードショーの常連とならないし、巷間「実況」などと銘打って盛り上がることが無いのだろうか。答えは簡単である。『ラピュタ』は作品の完成度がきわめて高く、『ハウル』以下は単純に視聴に耐えないクオリティだからである。

 しかも、この傾向は同じ宮崎駿監督作品の中でも歴史年表のごとく明らかに作品別に顕著である。つまり、宮崎駿監督は、はっきりとその製作タイムライン(時系列)に沿ってクオリティの高低とその性質をカテゴライズすることができると言う珍しいタイプのアニメーターであると私は勝手に思っている。それはまるで帝国の、そう例えばローマ帝国の栄枯盛衰の歴史に酷似している。最初勃興期があり、やがて黄金期・絶頂の爛熟期、そして衰退・滅亡へと向かっていく大帝国の歴史そのものに例えることができるのではないだろうか。

 まず上の年表をご覧頂きたい。宮崎駿監督が東映動画に入社し、「パンダコパンダ」「名探偵ホームズ」「未来少年コナン」「ルパン三世TVシリーズ)」の演出などで徐々にアニメーターとして頭角を現し、遂に氏の初監督作品となる「ルパン三世カリオストロの城」が公開され、1982年に漫画版「風の谷のナウシカ」の連載がアニメージュ誌でスタートし、同作が劇場公開された1984年前後までを『勃興期』と定義し”天才の目覚め時代”と呼ぶ。カリオストロの城で見せた無駄なカット(贅肉)を削いだスタイリッシュで劇的、且つ緻密に演出的効果を計算して成される作品構成の確立は、この『勃興期』に於いて全ての基礎が固められ、その後の宮崎駿監督作品の構造的土台となることは言うまでもない。丁度、イタリア半島の一部分を有する都市国家に過ぎなかったローマが、次第に拡張し(動乱・波乱はありながらも)徐々に後世の繁栄の基礎となる帝国の土台を築き上げていった初期ローマ帝国に例えることが出来よう。

 そして84年『風の谷のナウシカ』から、86年『天空の城ラピュタ』、88年『となりのトトロ』、89年『魔女の宅急便』、92年『紅の豚』と正に宮崎駿監督の黄金期が続く。この84年〜92年までに公開された上記劇場アニメ5作品を、私はローマ帝国の『五賢帝』になぞらえて『五傑作』と呼び、この時代を『五賢帝時代』ならぬ『五傑作時代』と定義したい。もうお分かりだろうが、最初に指摘した金曜ロードショーの常連5作品は全てこの黄金期に制作された作品である。上記5作品のどれをとっても、いずれ劣らぬ大傑作・アニメ映画の金字塔なのは疑いようも無い。緻密に練りこまれた世界設定(ナウシカラピュタ)、劇的で効果的な演出と決め台詞(ラピュタ紅の豚)、安定した重厚長大型でいてエンターテインメント性にも傾斜したバランス作品(トトロ、魔女の宅急便)と、具体的にこれら作品の傑作の所以を述べるときりが無いが(詳細は当方のラジオ企画・ニコニコアニメ夜話をご視聴いただきたい笑)、正しくローマ帝国で言うところのネルウァトラヤヌスハドリアヌス・アントニヌス=ピウス・マルクス=アウレリウス=アントニウス五賢帝により都合約90年の繁栄と平和の時代、すなわちローマ帝国絶頂の時代を髣髴とさせる。この時代、ローマ帝国トラヤヌス帝に於いて最大版図を迎え、民衆文化は爛熟し、数々の偉大な芸術家や哲学者が輩出された。

 続く爛熟期であるが、97年と若干「豚」からブランクがあるが『もののけ姫』の公開である。管理人は個人的にこの作品が、宮崎駿監督としての絶頂であると思っている。この『もののけ姫』の作品批評の詳細はいずれニコニコアニメ夜話で行うとして、やはり史実を基にした緻密な世界設定と深いテーマ性が秘められているが、やはり黄金時代の五傑作時代にある軽快で斬新なストーリー構成が若干後退している。この作品の致命的な弱点は、テーマ性とエンターテインメント性を意識的に両立させようとしたばかりに、物語のサビ(ラピュタで言うところのバルス!前後)が色褪せてしまっている所であるが、言い換えると何か宮崎駿監督の「いぶし銀」の様な完成された才能を見ることが出来る。兎にも角にもここが絶頂で、ローマ帝国で例えるなら五賢帝時代の末期前後と言ったところだろうか。財政悪化やゲルマン人の侵入という不安要素はあれど、まだ帝国は空前の繁栄を謳歌している。(実際、もののけ姫は97年公開時、それまで「南極物語」が最大だった日本映画における観客動員数及び収入の最高記録を楽々と追い抜いた事は読者諸兄もご存知のとおり)

 続いて01年の『千と千尋の神隠し』である。上記年表ではここを「爛熟期」と「衰退期」の境目としたが、明らかにここから宮崎駿監督の作品のクオリティ、及び才能の凋落を感じさせる節目となった作品である。本作自体の興行収入は98年の「タイタニック」を上回る堂々の1位(未だに塗り替えられていない)であったし、私自身そこまで詰まらないとは思わないが、明らかに千尋とハクに関する伏線が不十分かつ説明不足であり、入れなくても良いギャグ、必要の無いカット、無駄な移動風景など黄金期の宮崎駿監督なら挿入しないであろうと言う「贅肉」のような場面が散見され始める。丁度、五賢帝の時代が終わった17代皇帝コモドゥス以降のローマ帝国で、辺境で反乱が続発し始め、皇帝の継承等を巡る帝国内部での内乱、ゲルマン人の絶え間ない侵入による国境線の動揺が繰り返されるようになった時代に似ている。とは言え、本作は「新しい世代による物質文明との決別」という明確なテーマ性が設定されており、ストーリー性を重視した長編アニメーションとしての完成度はそれでもまだ十分に高いと言える。

 そして04年『ハウルの動く城』であるが、ここで明らかに宮崎駿監督の才能は劣化を始めている。この作品の前後を『衰退期』と定義する。まず、この作品はストーリー構成を放棄してしいる。『ハウルの動く城』のあらすじを400字で箇条書きせよと言われても私には出来ない。なぜならこの作品には秩序だったストーリーが無いからである。印象に残るカット、耳に残る台詞、斬新で劇的な演出、絶妙な劇音楽の挿入…「五傑作」で見せたあの輝かしい才能があらかた見事に吹き飛んでしまって、何やら宮崎駿監督が個人的に好きな魔法だの妖精だのが主人公の周りをぞろぞろぞろぞろと付いて回るだけの意味不明且つ不自然なストーリーにひたすら苦笑する。そして唐突に趣味の軍艦やら戦闘機だのが出てくる。魔法人間が空を飛んだり変身したりする。そこに合理的な説明は無い。カットがぶつ切れになり、何の伏線もないまま主人公が勝手に納得したり周囲が勝手に理解したりして観客には意味不明のまま話だけが先行する。全てに理由が無く全てに意味合いが無い。ただ宮崎駿監督という個人が好きな描写を勝手に詰め込んだ「期待ハズレの福袋」の様な内容。あれだけストーリー展開の合理性を重視し、あれだけ緻密に世界観を設定し、最小の説明で最大限の劇的演出を心掛けた「五傑作」時代の宮崎駿監督の面影は一切無い。これが同じ人なのかと思うほどの劣化ぶりは正直ひいてしまう。丁度、2年や3年で次々と何十人も皇帝が入れ替わり、各地で反乱と蜂起が繰り返され、帝国の領土がどんどん縮小していく軍人皇帝時代のローマに例えることができる。この時代のローマは正しく内憂外患であり、多少の持ち直しはあるものの滅亡に向けての坂道を着実に転がり落ちていく。

 08年『崖の上のポニョ』によって宮崎駿という、わが国アニメーション界の巨人、いわば帝国は終末期を迎えたと言っていい。この2年前、06年には宮崎五浪だか六浪だかの(すいません、わざと間違えました)監督の子息が『ゲド戦記』という中学生の学芸会レベルの作品(?)を堂々と劇場公開するという愚挙にでたが、これは丁度テオドシウス1世(統一ローマ帝国の最後の皇帝)の息子2人がそれぞれ西ローマ帝国東ローマ帝国ビザンツ帝国)を分割統治したという故事に何となく似ていると思うのは管理人だけだろうか。国家も個人も、行き詰まってくると禄でもない血縁者に最後の望みを託して既得権を継承しようと画策するのだが、その結末はほぼ100%上手くいった試しが無い。西ローマ帝国は分割継承の後、100年を待たずして滅亡、ここに世界史的な意味での正当なローマ帝国は消え果るのである。

 さて、わざわざ『終末期』とした08年の『ポニョ』であるが、副題を「和製版デヴィッド・リンチの時代」とした。これは伊集院光が、TBSラジオ伊集院光深夜の馬鹿力」に於けるポニョ評でこう仰っていたのをそのまま拝借した。デヴィッド・リンチ監督は、「イレイザーヘッド」「ツインピークス」「マルホランド・ドライブ」等で著名な大監督であるが、一般的には「奇才」「B級映画の大家」と目される。それは、氏の作品では中盤までは正統的なストーリー展開が続くが、途中から小人が歌いだしたり、タバコの中から灰色の妖精が囁き掛けたり、非日常的出来事がさも当然のように身近で起こるようになったりする、とにかく終盤にかけてシュールで前衛的な展開がこれでもかと続く摩訶不思議な作風の監督なのであるのは読者諸兄も知っていられよう。伊集院光氏は『崖の上のポニョ』を鑑賞してまず『和製版デヴィッド・リンチ』の感想を持ったのだと言う。これは古今東西最も的確なポニョ批評であると言わざるを得ない。この『ポニョ』では、宮崎駿監督がもはや意図的にストーリーを構成しないのではなく、「出来ない」のだと我々に認識させるのに十分な作品であった。そして、宮崎駿帝国の終焉を決定的に物語る作品として記憶されるであろう。意味不明の作品世界、意味不明の台詞、意味不明の世界設定、意味不明の構図、意味不明の演出、数えればきりが無いが、伊集院光氏曰く、宮崎駿が和製版デヴィッド・リンチを目指しているのだとすれば説明が付く。

 伊集院氏はこうも言っておられた。あれだけ「ポ〜ニョ♪ポーニョポニョ魚の子〜♪」とはしゃいでいた子供たちが、上映終了後は一様に無言になった事。「もし自分が子供で、人生最初に観るアニメ映画がポニョだったら凄く嫌だな」という率直な感想。このふたつがこの作品の全てを物語っているのだが、とにかくわが国が誇るストーリーアニメーションの大家・宮崎駿監督という名の帝国は09年に滅んだと言うことだけは確かだ。ローマ帝国は、五賢帝の時代を過ぎ、短命皇帝が乱立され内部でも抗争が起こるようになってくると、辺境の土豪や奴隷階級が帝国に蜂起し、勝手に「ローマ皇帝」と自称して自分の顔を打刻した貨幣まで鋳造した。私は、このようなローマ帝国末期の姿が現在の宮崎駿監督(スタジオジブリ)と細田守監督(マッドハウス)の関係に重なって見えてしょうがない。もはやストーリーすらまともに構成できなくなった老人を見限って、アニメファンは今や明らかに細田守監督(マッドハウス)をスタジオジブリの正統なるファミリー向けストーリーアニメの後継者として位置づけているように思える。誤解をされない為に注意して書くと、別に細田守監督(マッドハウス)が自らを「私はスタジオジブリの正統なる後継者である」と自称したことなど一度も無いが、もはや世間一般のアニメファンの中には、上記の様な宮崎駿監督の凋落振りを横目に細田守監督こそが新しい次代を担う日本のメインアニメの中核であると見る向きが少なからずあるのは確かであろうと思う。今年(09)夏公開の「サマーウォーズ」に、管理人の様なコアなアニオタではなく、家族連れやカップルが大挙して押しかけ連日大好評を博したのが何よりの証拠であろう。

 過去の偉人は「盛者必衰」と言った。確かに普遍的な真理であるかもしれない。しかし、宮崎駿監督の「盛者必衰」は余りにもそのスピードが速く、また余りにも「衰」の度合いが大きすぎるのは気のせいだろうか。過去数十年、特に90年代以降、スタジオジブリ宮崎駿監督は正しくわが国の「メインアニメーション」としてその座に君臨してきた。その評価は過大評価ではなく、宮崎駿監督のほとばしる才能をしての正統なる評価であったと思う。しかし今、そのメインアニメ、アニメ界のローマ帝国が滅びようとしている。いやもう滅びている。メインアニメが廃れるのは由々しき事態である。『ハウルの動く城』と『イノセンス』が同時にベルリン国際映画祭に出品された時のこと、押井守監督は「ハウル」の陰に隠れてイノセンスの注目が薄まることに不安はあるか?という趣旨の記者団の質問に対し、「むしろ宮崎駿先生の様なメインアニメがしっかりしなければ、われわれサブアニメは輝くことが出来ない。メインあってのサブだ」と切り返した。宮崎駿監督の凋落は、すなわちわが国アニメ界全体の衰退につながる大問題である。メインの凋落は、同心円状に広がり、やがてはアニメ界の末端、ひいてはわが国民のアニメリテラシーの水準低下という問題にまで深刻な影響を及ぼすであろう。幸いなところ、細田守監督と言う新しい「メインアニメ」の旗手が出てきたので首の皮一枚でつながっていると言える。

 もう、宮崎駿監督には「五傑作」時代の才能は一滴も残されていない。再び我々があの完璧に計算された技術を見ることはないと断言しよう。であるならば、宮崎駿監督には難しいだろうが後継の育成に全力を注ぎ、潔く退場されるのが有終の美であろうと思うがいかがであろうか。(ちなみに御年85歳を過ぎた米映画界の巨匠シドニー・ルメット監督や、90歳を過ぎて近年亡くなられたわが国映画界の巨匠・市川崑監督は老いても尚精力的できっちり磨き上げられた作品を作って居られたのだが…)


*関連ブログ
飛び降りる宮崎駿vs飛び降りない押井守 <リアリティコントロールの話>


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