「風立ちぬ」批評〜宮崎駿が描いた美しい日本/宮崎駿は左翼ではない〜

※当記事に基本ネタバレはありませんのでご安心を(笑

・光と闇の戦前日本こそ美しい

風立ちぬ」を公開初日に観た。この作品の中で、宮崎駿は戦前の日本を実に美しく描いた。それは、青々とした水田であったり、日本家屋で統一された町並みであったり、レンガの橋梁や或いはまだ戦災で焼ける前の帝都東京の姿であった。
 しかし、宮崎は本作の中で、戦前の日本の暗部をも見事に描き出している。美しい田園のすぐ傍らに存在する都市貧民や失業者。関東大震災での破壊と、金融恐慌の只中で不安に揺れ動く大衆達。「どうしてこの国はこんなに貧しいのだろう」という主人公の台詞の通り、「風立ちぬ」の中には、眩しく光る戦前の日本と、陰惨な闇の戦前が見事に同居している。

 宮崎駿の一貫したテーマは、『風の谷のナウシカ』の時から普遍である。特に漫画版ナウシカがそうであるように、「人間や文明は美しくなければならない」という設計主義的な考えを全否定し、善と悪、光と闇、明と暗が混濁(カオス)する存在こそ、実は最も人間的であり、だからこそ人間は美しいのだ、と。だからこそナウシカは、設計主義的なものの象徴であるシュワの墓所を破壊し、カオスの中で生きる道を選択して物語は終劇する。

 本作「風立ちぬ」にも、宮崎駿が一貫して持つこの哲学が踏襲されている。戦前を光と影の両面で描いた。そして主人公・二郎と奈緒子のつかの間の逢瀬の中には、一見美しさの中に常に死の影が忍び寄っている。本作の中で、イタリアの設計士・カプローニは繰り返し「空を飛ぶ夢は美しいが、同時に魔性でもある」というニュアンスの台詞を繰り返す。
 光と影、明と暗、そして生と死…。いくつもの軸で語られるこの「二面性の同居」の象徴的な存在こそ零戦であった。零戦は、世界一美しい航空機としてかつて大空を舞った。しかしその一方、圧倒的なアメリカの物量の前にやがて敗北していった、悲劇の戦闘機としての側面を持つ。

 宮崎駿は、この零戦という航空機が持つ栄光と悲劇の二面性を、堀越二郎という若き設計家の夢の延長の中に同居していることを描く。美しい飛行機が空を舞う一方で、そのエンジン音は人間の声でアテレコされた不気味な効果音があてがわれている。本作では、関東大震災の地響きと、飛行機のエンジン音が、同じ人間の発声によるおどろおどろしい効果音による演出がなされているのだ。
 それは、航空機の中に、魔物のような暗部が同居していることを表現しているに他ならない。低く唸る人間の地鳴りの声と、夢を載せた人類最先端の科学の結晶であるはずの航空機のエンジン音には、実は同じ破壊という魔物が住み着いているのである。

 宮崎駿は、戦前の日本と零戦を実に美しく描いた。それも、涙がでるほどに、である。しかしそれは、単に繊細な美しさを評価したものではなく、そこに光と影の二面性が存在するからこそ、宮崎はそれをもっとも美しいものとしてアニメーションで再現したのである。希望の塊のような光と、そのすぐ裏側に存在する魔性の暗部が同居する世界こそ、宮崎は最も魅力的に、最も美しい世界として描いたのである。

宮崎駿は左翼ではない

 宮崎駿が「憲法9条」を守る旨(そして慰安婦問題に関する)の寄稿をしたとかで一部が盛り上がっている。イデオロギー的に宮崎は左翼であるからけしからん!という人がいる。私にとって、そんなことは実にどうでも良い問題だ。彼のイデオロギーが左傾的なのは疑わないとしても、少なくとも宮崎駿という存在はイデオロギーの中で語るには大きすぎるし、また当然のことながら彼の作品を見てもその文脈はそぐわない。

 「右」は戦前の光の部分のみを捕まえて、「戦前は良かった」「戦前には失われた日本の心や道徳があった」などと形容する。一方で「左」は、戦前の闇の部分のみを捉えて、「戦前は悪かった」「戦前は軍国主義で閉鎖的で悲惨だった」と形容する。どちらも正しくはない。そしてどちらも正しいのである。真相は、その両者が混在しているからこそ、この国は美しかったのだ。希望の光と魔性の悪とか同居しているからこそ、そこに限りない、人を引きつけてやまない美が生み出されたのである。

 宮崎駿反戦平和主義者なのに軍事オタクである−。という一見矛盾した批判がある。なるほど矛盾に違いないと思うが、実は宮崎駿が魅せられた航空機や戦車や兵器の数々は、金属としての美しさとその裏側にある戦争の悲劇としての魔性の二面性を兼ね備えている存在であるから、彼が愛してやまなかったのだろうと、この作品を見て改めて納得した。宮崎は、ナウシカの時から一貫して、人間や兵器の悪を、ことさらに憎悪し、そしてことさらに愛していたのである。なぜなら繰り返すように、その二面性こそが美だからである。

 「風立ちぬ」をイデオロギーで見ることほど愚かなことはない。本作にはイデオロギーは存在していない。戦闘シーンもなければ、直接的な戦争の描写もない。「プロジェクトX」を思わせる技術者達の奮闘と、その傍らにあった絶望の時代と希望の時代を交互に描き出す。

 これこそが美しい日本だったのだと、私は「風立ちぬ」で落涙した。我々はつい、この国の歴史の中に光の部分を見つけては喝采を送り、闇の部分を見つけては隠蔽・あるいは封印するか逆に糾弾しようとしてきた。美しい日本とは、様式美に満ち溢れた、歴史に裏付けられた、完璧な光の部分であると信じてずっとそれを探し求めていた。
 しかしそれは違っていた。美しい日本とは「甘くて残酷な」日本の姿そのものであった。宮崎が一貫して描き続けた、カオスの中の一縷の光こそ、本作では最も偉大な美であるとして締めくくっている。そしてそれは、日本自身に他ならない。

 青い水田の上を、まるでトビウオのように零戦が飛ぶ。栄光と悲劇の二つを有した零戦こそ、もっとも美しい航空機であると宮崎駿ははっきりと明言した。日本や人に対する愛が無ければこのような描写は出来ない。日本の闇のみを捉える自虐史観論者にもこんな描写は出来ない。鈴木敏夫は本作を「宮崎駿の遺言」といったが、その真偽はともかく、「風立ちぬ」から私は宮崎のこの国に対する愛を、ほとばしる愛を感じずにいられなかった。

 大震災と経済不況。はな現代日本にも重なる時代を、おそらく意図的に選択したであろう宮崎には、現代日本のカオスの中にも、果てしなき美を見出しているのか。歴史は虹である、とよく言われる。虹は近くにいると気が付かないが、遠ざかってみると初めてその存在に気がつく。歴史もそれに似ているという。本作にも虹が登場する。はな「風立ちぬ」にシンクロする現在、遠ざかるとそれが美しい時代であった、と回顧することができるのだろうか。だからこそ「生きねば」の台詞が胸に深く深く、突き刺さる。宮崎駿の新しい代表作、いや日本アニメ史に残る不朽の大傑作がここに現出した。

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