【特別寄稿】「3.11」と「風の谷のナウシカ」


1984年3月11日に封切られた『風の谷のナウシカ

 さて今日のこの日を自宅にて迎えた。忌まわしき「3.11」からもう1年が経つ。「1年前の今日、午後2時46分にあなたは何をしていたか?」は今後しばらくの間、日本国民の間で共通の定形詞になろう。

 私はその時、松戸市の自宅のベッドで寝ていた。横には猫が居た。実はこの日の2日前、宮城県沖でM7.3の比較的大きな地震が発生し、津波警報が発令されている。この地震が「3.11」の「前震」であることなどこの時には知る由もない。どんな大災害でもそうだが、スピリチュアルも予知夢も宏観現象も未来の予言も、大災害におけるあらゆる「前兆」は、絶対にそれが起こった後に盛んに喧伝される。「3.11」も御多分にもれず例外ではなかった。

 午後2時46分、私の住む松戸市震度6弱を観測したが、最初の揺れが実にゆっくりとしているのでどうせ「震度3程度のことであろう」とたかをくくって再びまぶたを閉じた。すると数秒後に、いわゆる「S波」が到達、睡眠どころではなく飛び起きた。

 私はとっさに「伊豆半島近海で大地震発生!地震規模M7の後半、関東大震災クラス!」と予想した。しかし実際は違った。震源宮城県沖。震央から離れた千葉でこの揺れなのだから、東北はすわ全滅か、と観念した。

 その後の経過は言うまでもない。「燃料棒が水面から○○センチ露出」というNHKの報道に背筋が凍りついた。「福一の敷地正門で1,000マイクロシーベルト検出」には「もう日本は終わりだ」と思った。首都圏から避難するためにガソリンを満タンに入れた。猫を搬出する準備と、避難経路の策定をグーグルマップを使って数十回検討した。いざ原子炉の大爆発で東日本壊滅となったら、最小限の家財と猫を車に積んで、まず千葉〜関越道を通って新潟に出、そこから日本海側をとおって福井の敦賀か京都の舞鶴まで行き、港からフェリーで札幌の実家まで「逃走」する総工程1,500キロの計画を策定した。再度の大余震で日本海津波警報が発令され、フェリーが運休した場合に備えて、フェリーの回復を待つまでホテル暮らしを覚悟し、その為の当座の現金約30万円を引き下ろして手提げ金庫に入れ、車のダッシュボードに保管した。「3.11」から数日間、心臓が休まる暇がなかった。中性子が検出されて1号機と3号機の建屋が爆発したときは「あらゆるものの全てが終わった」と思った。いや「地球圏の終わり」だと思った。マヤ暦の終焉が意味するのはこの事だとすら思った。多分この間、3〜4キロは痩せたと思う。

 「3.11」の前から、日本の戦後体制は首都圏直下型地震による東京の壊滅(すなわち経済の破綻⇒財政の破綻⇒ハイパーインフレ⇒日本終了)によってもたらされるのではないか漠然と感じていた。その首都圏大地震という不謹慎だが『とっておきの一発』は、いずれ来るだろうと確信していたし、多くの地震学者や地質研究者が総予想していたのだからおかしい感覚ではないと思う。

 ただその「戦後体制を終わらせるとっておきの一発」が、2011年の3月11日に起こるとは予想だにしなかったし、備えもしていなかった。何故なら、「戦後体制を終結させるとっておきの一発」の前に、私は個人としてあらゆる面で力を蓄えておく予定だったし、数十年後に起こる「戦後体制の崩壊」の前に、相当の下準備をする計画だったし、その計画が大きければ大きいほど、またその防御計画は遠大なものになったからであった。

 だから正直、「3.11」と原発事故の報を受けた率直な感想は、「とっておきの一発があるのには、まだ早すぎる!」という事であった。まだ何者にもなっていない自分にとって、正直「3.11」と原発事故は大きすぎる衝撃であり、また自分が何者にもなっていない前に日本が滅びてしまうのではないか、という恐怖が先行したのだった。

 しかし「3.11」から数ヶ月たち、原発事故はスリーマイルよりは激甚だが、チェルノブイリほど深刻ではなく、又、大気に放出された放射性物質チェルノブイリの20%程度で、そのうちの70%は海洋に放出され、人の住まう陸上での蓄積はまだ少なかった(地上への放出は30%で、総数4京ベクレルの内、約1.2京ベクレルで、20京ベクレルが放出されたチェルノブイリの約16分の1程度)ということ。よって不幸中の幸いなことに、同じ「レベル7」とは言え、チェルノブイリよりは遥かに陸上汚染は限局的だということも判明しつつある。

 津波被災地の復興は遅々として進まないが、それでも自衛隊の活躍など一筋の光明は見えてきた。日経平均は1年をして漸く1万円台を回復、ジャスダック平均にいたっては既に震災前の水準に到達している。世界は平静を回復しつつあり、未だ避難民多しといえど当初私が震えた「日本滅亡」の絶対的絶望には至らなかった事に、私は深く神に感謝するものであり、2万日本人同胞の死者の御霊に黙祷するものである。

 さて話を本題に進める。1984年のきょう、奇しくもある国民的アニメ映画が公開されたことを皆さんは御存知だろうか。『風の谷のナウシカ』(1984年3月11日全国公開)である。この作品は、当たり前だが日本人なら知らないものは居ない、宮崎駿初期の傑作である。

 私は本作の封切りが奇しくも「3.11」であることは、なにか運命的なものを感じずには居れない。本作のテーマが『汚染との共生』というある種「3.11」後の日本の状況とはからずもシンクロするのは、単なる暦の偶然とするのはあまりに乾燥している。

 私は「3.11」の直後、JPANISM創刊号(青林堂)に、『3.11以後の世界を生きるために アニメから得る復興のヒント』 と題して本作『風の谷のナウシカ』と『3.11』以後の日本の社会風景の類似性を指摘し、「ナウシカ」の中にアフター3.11のヒントがあるのではないかという趣旨のコラムを書かせていただいた。興味があるなら是非ともバックナンバーを買って頂きたい処である。

 「風の谷のナウシカ」はよく金曜ロードショーなどで紹介される際、決まって「人と自然の共生を描いた作品」などと口上されるが、私はこの本作に対するこの台詞を聞くにつけ、それは違う、と強烈な違和感を覚えるものである。

 「風の谷のナウシカ」は「人と自然の共生」を謳った作品ではない。本作を熟考した上でそう結論づけるのであれば、それはその人物の物語的読解力のリテラシーが著しく劣等であるか、またさもなくば徳間書店から刊行されている「漫画版 風の谷のナウシカ」を一切併読せずアニメ映画版しか観ていないか、のどちらかだと思う。

 「風の谷のナウシカ」には過去の高度文明の負の遺産とも言える「腐海」を焼き払い、人類文明を再建しようという勢力が登場する。「漫画版」ではこの辺りの描写はもっと緻密で、腐海の粘菌をコントロールして、生物兵器を生成して敵(トルメキア)を攻撃し、更には粘菌のコントロール度合いによって腐海の繁茂は計画的に取り除かれる、という壮大な「計画」まで描写されている。

 汚染されたら二度と回復することが困難な腐海を「放射性物質」に置き換えるのならば、それを完璧にコントロールし、あまつさえ攻撃兵器に転用しようとすし、その権益を必死で護持しようとするドルクの僧会や科学者たちは言わば「東京電力原発御用学者」「原子力ムラの既得権者たち」とまるで瓜二つである。

 本作では腐海の粘菌のコントロールは失敗し、逆に彼らの国土が広大な腐海の汚染に没し、人間の住まう世界は半分になってしまう。その姿は、奇しくも「3.11」でコントロールを失った福島第一原発の姿に酷似している。

 ナウシカは、そもそも人間が天然をコントロールしようという試みそのものが間違いであり、腐海という汚染を一緒くたに「悪」と決めつけ、徹底的に排斥し、人間は全て無汚染で善なるものであるべきだ、という「無謬性信仰」こそが、生命への最大の冒涜である、と結論づけた。

 人間は悪や汚濁と共に有り、実は生命という存在そのものが汚濁や混濁と常に同居している。生命から光の部分だけを抜き取ったならば、それは醜悪な肉塊であり、生命とは常に光と闇との混濁なのであると説いた。よってナウシカは、腐海の消滅や汚染からの解放を願わなかった。ナウシカは人類が腐海の畔で、汚染と向かい合いながら共に暮らし、汚染と共に歩んでいくことを人民に指し示して本作は終劇する。

 「人間と自然の共生」は本作のテーマではないと書いた。要するに本作は、「自然とどう向き合うか」といった教科書的作品ではなく、人間の醜さ、人間の汚さ、人間の利己性、人間の穢れを正面から描いた作品であり、だから人間はその闇から逃れられず、またその闇をも肯定した上で生きていくしか無いのだとした、正に「人間の中にある醜さとの共生」をテーマにした作品に他ならないのである。

 「3.11」以後、たしかに放射線によって日本列島の少なくない部分は汚染されてしまった。この1年間、たった少しの放射線でも「危険だ癌になる」といって大騒ぎする「放射脳」の人々が沢山現れた。彼らは一度、「漫画版 風の谷のナウシカ」を読むべきだと思う。そしてそれを読んだ上でもう一度アニメを見、生命の本質とは汚染であり闇との混濁であることを知るべきである。

 と同時に、原発は絶対安全で、これからも安全である、といういわゆる「安全厨」もこの1年で沢山現れた。彼らの少なくない部分は、原発事故というかつて日本人が経験したことのない未知の事象に混乱し或いは恐怖し、心の防御反応として「こんなものは大したことはないんだ」と思い込みたい衝動という名の「願望」に駆られていることは想像に余りある。

 しかし彼らも一度、「放射脳」の連中と同様に「漫画版 風の谷のナウシカ」を読むべきだと思う。そしてそれを読んだ上でもう一度アニメを見、深刻な実態と陰鬱とした現実を素直に認めた上で、尚且つその「闇」と共生するより他になく、「日本の原子力発電所は絶対に事故を起こさない」という「3.11」前に存在したこの国の原子力行政に付き纏った「無謬性信仰」が、粘菌を意のままにコントロールしようとして大失敗したドルクの科学者と全く同じ愚行であった、という結論に達するべきだと私は考える。

「3.11」は我々に余りにも多くの課題を遺した。我々は未だそれらの課題を消化しきれないばかりか、いつ消化できるのかの目処も立っていない有様である。しかしひとつだけ確実に言えることは、「風の谷のナウシカ」と違って、日本には精密なテクノロジーがあり、頑強な工業力を有し、高い教育を受けた人材が存在し、ごく一部は「放射性物質」に没したとは言え、それ以外の殆どの場所は健在に残った、という事実だ。

 我々日本人は、「風の谷のナウシカ」中に登場する「虚しく滅んだ旧世界の人々」ではない。我々は「3.11」をバネに、勇ましく躍進する「進撃の巨人」となろう。我々を待つ曙光はそう遠くには存在しない。

2012.3.11



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