ドラゴン・タトゥーの女〜それでも晴れない北欧の霧〜

 さて2月10日から日本公開の、『ドラゴン・タトゥーの女』(ディビッド・フィンチャー監督)を鑑賞する。本作は、2009年のスウェーデン映画で同名小説が原作でもある『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』(ニールス・アルデン・オプレヴ監督)の事実上のリメイクに当たる。上記画像左がフィンチャー監督作品、右がオリジナル作品。

 私は『デヴィッド・フィンチャー監督「ソーシャルネットワーク」〜史上最も成功したDT〜』に書いた通り、ディビッド・フィンチャー監督が堪らなく好きである。何故なら彼の持つ「乾いた」感性が途轍もなく好きだからである。よってフィンチャー作品は全てチェックしているのは言うまでもない。そんな大のフィンチャー・ファンが以下本作の評を書くことにしよう。例によって此処から先はネタバレ有りであるから注意されたい。

 今しがた述べたように、本作は2009年のミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』(以下ミレニアム)の完全リメイクに当たるわけであるが、私はまず今回フィンチャー監督の本作を劇場鑑賞した後、DVDにてミレニアムを鑑賞するに至った。ざっくりした感想であるが、流石はフィンチャー監督だけあって、本作の映画としての完成度はミレニアムに比べて段違いに良いのである。ただミレニアム自体は決して駄作などではなく、スウェーデンで記録的な大ヒットとなっただけのことはある濃密なサスペンス映画である。

 話を本作に戻そう。話の粗筋はスウェーデン犬神家の一族と言った感じ。大財閥の一族に纏わる、ある失踪事件を本作の主役、ダニエル・クレイグが追うという展開である。流石キリスト教圏らしく、聖書をモチーフにした猟奇殺人がてんこ盛りなのは恐らく原作小説を踏襲したものなのであろう。この辺りは、後述するが「羊たちの沈黙」に通ずるものがあろう。ただ本作が秀逸なのは、こういった「辺境の大豪族一家に纏わるミステリーを解明する」というある種王道とも呼べるサスペンスの展開が非常にテンポが良い、というだけではない。それだけだと本作の魅力はまだ半分。もう半分の魅力は、表題の通り「ドラゴン・タトゥーの女」=リスベット(ルーニー・マーラ)の猟奇性である。

 ミレニアムと同様、フィンチャー版の本作でも全編を通してこのリスベットの猟奇性は際立っており、バイセクシャルであるという点は共通しているが、あのイカレタ変態後見人をこれでもかこれでもかと報復陵虐するリスベットのある種の異常性は、ミレニアム以上に本作ではフィンチャーが力を入れている点であろう。

 ミレニアムと異なっている点は、主人公ミカエル(ダニエル・クレイグ)とリスベットの関係性である。実のところミレニアムではミカエルとリスベットにはある種の恋愛感情が描かれていた。要するに、ミレニアムではその終劇後に、この二人の図らずとも淡い関係性を予感させる展開(この点が「羊たちの沈黙」の爽快感にとても良く似ている)が登場するが、本作のリズベットに対してフィンチャーは容赦無い「乾いた絶望」を与えて終劇させいる。この辺りの「残尿感」がなんともフィンチャー監督らしい展開だが、本作を見た後でミレニアムを見る前に、私がフィンチャー監督がオリジナルを大きく改変させているとしたらラストの部分であろう」との予想は見事に的中していた。

 さて話の核心に戻ろう。本作の原作は作家のスティーグ・ラーソン(映画化前に急逝)であるが、本作の舞台がストックホルムを含むスウェーデン全土であることは論を俟たない。実のところ本作の登場人物は、本作の事件の核心に関わるヴァンゲル一族(財閥一家)の歪んだ人間性(主に性的な)の犠牲者、ひいては人間の心の歪みによってもたらされる悲劇の犠牲者を描いている。実際、その歪みの先鋭を具現化した存在が「ドラゴン・タトゥーの女」、つまりリズベット自身に他ならないという帰結に至るのである。リズベットにフェ○チオ及びア○ルセ○クスと引換に小切手を渡す小役人(実際は成年後見人)は、高福祉に名高い北欧・スウェーデンの実態の一側面を皮肉っているに他ならない描写である。その歪みの犠牲者である筈のリスベットこそが実のところ更に倒錯しており、事件解決に尽力した主人公ミカエル自身も、社会道徳的には決して誉められた立場に居るわけではない、という処がこの作品の肝である。即ち本作は、サスペンスに仮託したある種の社会批評であり、サスペンス的謎解きはオマケに過ぎないのであるというのは、本作を観れば明らかであろう。

 この様に本作及びミレニアムでも、所謂「サヨク」が理想郷と呼ぶ北欧ですら、人間が普遍的に抱える心の歪みと倒錯を抱え、誰しもがその犠牲者であり加害者である、という決して晴れない「霧」を見事に描くことに成功しているのである。加えてミレニアムで描かれた、その「霧」は最終的に晴れるのではないか、という淡い期待すら、フィンチャー版では徹底的に打ち砕いているところがまた本作がミレニアムと比して傑作の域に達している所以であると私は思うのである。

 天才的なハッキング能力を持つリズベット。一見全知全能の神のようにミカエル救出に颯爽と登場する女傑ですら、実は女性としては未熟な餓鬼に過ぎなかった(少なくともミカエルの眼中には無く、徹底的に遊び相手の餓鬼としてしか見られていない描写はミレニアムと最も違う所)。「こんな狂人女が普通の恋なんて出来る訳がねぇだろ!現実はそんなに甘いわけがないんだ」というフィンチャー監督の乾いた笑い声が聞こえてきそうなラストは、クエンティン・タランティーノ監督の「ジャッキー・ブラウン」のラストに通じるロマンスのリアリティに思え、素晴らしい最後であったと思う。

 ミレニアムは「羊たちの沈黙」ばりの「霧の晴れる」を予感させるラストを描いた。私はそれはそれで希望とカタルシスがあると思ったが、良く考えるまでもなく人間の心の闇ほどどす黒く、淀んで、五里霧中のごとき視界不良で混濁しているものも無いであろう。心の霧、ひいては北欧の霧は、そんなに簡単に霧散することは絶対に無く、またリスベットもその黒い霧の中に再び舞い戻っていくしか無いリアルを、見事に描き切ったディビッドフィンチャー監督。やっぱり大好きですフィンチャー監督。

*本作を見る前に、スウェーデンは第二次大戦中、厳正中立を保ったが、姑息手段(一時凌ぎの意)として枢軸軍の領土通過を認めており、伝統的に親独的な国民(親ナチ)も少なからずいた事、それが戦後のスウェーデン社会に微妙な影を落としていること、を予習しておけばより楽しめるであろう。


ディビッド・フィンチャー監督。乾ききった芳醇な天才。


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