文化系トークラジオLifeの気持ち悪さ

 TBSラジオで月末日曜日の深夜、生放送される文化系トークラジオlifeという番組をご存知の方も多かろうと思う。私は生粋のラジオっ子なので日曜日の深夜に他に聴く番組も無いので結構これを聴いたりするのだが、ここ最近の同番組の「気持ち悪さ」と言ったら無い。

 2月28日の回に、「不揃いのグローバル化」と言うのがテーマで、海外市場(特に東アジア圏)で日系企業ソニー・本田・松下等々)の地位低下が顕著で、サムスンやLG・ヒュンダイなどが勃興している、というお決まりの話はまぁ兎も角、世界市場において日本の相対的地位が低下する中、日本のAV(アダルトビデオ)業界だけは東アジアの市場を席巻しているソフトパワーである、と言うところからはぁ?な感じが漂い始める。HENTAIと言う単語が日本のエロアニメを指し、BUKKAKEが国際語として定着しており、この分野で日本は世界をリードしているのだと礼賛する。HENTAIとかBUKKAKEが嘲笑や変態プレイの一種として侮蔑の対象としてしか見られていないことを彼らは知っているのか?海外では同人作家が”ポルノアーティスト”と訳されて一段下に見られていることを知らないのではないか。そもそも、工業製品で地位が低下して、唯一残ったのがヤクザの資金源たるアダルトビデオ業界とか、私からすればそれは誇りでもなんでもなく末法の世であり国辱に等しいのであるが。

 それは兎も角、極めつけはAV監督の二村ヒトシ氏がゲストででるや否や、黒人モノと言うのが一寸前にはやり、その黒人AV男優は大学の講師(ビザの関係でクリアにするため)を雇い、女優(大学生)が撮影現場で先生にバッタリ…なんという話を一同大爆笑で迎えると言うその感性のが何が「文化系」なのかよく分からない。中国・香港で人気の日本のAV女優が「尖閣諸島でいま日中がギクシャクしているが私達はそうじゃなく仲良くありたいです」とツイッターか何かで書いて日中両国の人々が感動したとか、こんなヨタ話に対するツイッターの反応の多くが、「エロは世界を救うんだ #life954」だったからもう馬鹿らしくなった。領土問題がエロで解決するほど世界は甘くなかろう。そんな馬鹿話に真剣に感動するのは日本人だけであり、そういう感覚をガラパゴスと言うのだ。グローバル化を語りながら、その実、この番組の話者の感性そのものがグローバル化から最も遠いところにあるとは皮肉である。

 更には番組パーソナリティの鈴木健介氏が、コードギアス反逆のルルーシュを引き合いに出して、「日本アニメが海外の人に受けると、日本人と同じ感性の人が増えると思いがちだがそれは錯覚かもしれない。コードギアス反逆のルルーシュを観て、植民地支配を経験した国の人々は日本人と違う感想を持つであろう。日本のアニメが海外で受けていることを、日本的感性が輸出されると解釈するのは果たして妥当なのだろうか。と言う原稿を書いた」と発言し、その原稿は没になったといったが、「植民地支配を経験した国の人々」とは例の特定アジア圏の人々を指すのであろうかと露骨に感じたのであるが、教科書に近隣諸国配慮条項あり、今度はアニメにまでも近隣諸国配慮条項を付け加えようと言うのだろうか。まぁそこまでの意図は無いだろうが、つい邪推してしまいたくなる。

 基本的に、この番組はポッドキャストで最初の方を聴いて好きになったが、最近は劣化が酷い。大前提的にこの番組の話者は「業界人」的「特権意識」の目線が大勢を占めており、要するにカルチャーを標榜しながら、自分達がそのトップを走っていると言う有形無形の自覚によって「体制」のニュアンスがにじみ出ているのが気持ちが悪いところだ。そこから発せられるのは、前述したような業界人目線での見下しと特権意識である。パーソナリティの鈴木謙介氏は二言目には東京・東京と連呼し、自らが勤務する関西学院を含む関西(もしくは地方一般)の文化的水準が首都圏より低いようなニュアンスの発言が目立つ。(実際、この前の放送でもチャーリーって関西嫌いなの?と他の話者から突っ込まれていた)邪推かもしれないが、何か自らの地方出身という出自にコンプレックスがあるのではないかと疑ってしまう。丁度、ど田舎から東京にでて来た「おのぼりさん」の大学生がその必要も無いのに「シモキタ」(笑)「ブクロ」(笑)「サンチャ」(笑)などと連呼する感性に似ている。無論そうでないことを祈るが。

 下品なエロ話に爆笑し、業界人目線で語る「体制」と化した文化系トークラジオlifeには、その草創期に存在した、「自分達はあくまでもサブカルの代弁者」という謙虚さが喪失し、ひたすら肥大した自意識ばかりが目立つ「嫌味な業界人の自意識発露番組」に成り下がってしまっているように思える。

 同じTBSラジオの番組でも、「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」や、「伊集院光深夜の馬鹿力」については私が数年来(伊集院は15年間)リスナーを続けているのは、彼らが決して自らを「体制」と意識しないところにある。自分はいつも日陰者、自分はいつも被害者、という「下から上を見上げる」姿勢こそが、私は本来の批評一般のあるべき姿勢なのではないかと思うがどうか。自意識が先行し、業界人的に下々を見下す、ということをやるのは傍から観ていて一寸下品である。無論、この番組の話者はそんなこと自覚しても居ないだろうし、ポジショントーク・演出の類なのかもしれないが、被害者歴・非リア充暦の長い私のような人間から言わせれば、どんなに表面を取り繕っても、他者に対する見下しや或いはコンプレックスを基礎とした優越感は、言葉の選定や話し方の節々ににじみ出るものである。私はそれを決して見逃さない。

 兎も角、毎回毎回・東方神起大好きの話者やら韓流ドラマが世界を席巻するを百万遍繰り返している番組であるので、ちょっとあまりにも電通臭がしていただけないのであるが、私はいくらエロが好きだろうとそれは恥らうべきものであって、エロは秘匿すべきものだと考える。エロを堂々と日本の文化である、などと形容して憚らないのは何処か東京都条例の反対派と重なる「奇形的リベラリズムを感じてしまうのは私が「アニオタ保守本流」だからと言う事で、ご勘弁願いたい。

 昔、「セックス・アンド・ザ・シティ」(ラジー賞の常連)を喜んでみている層は田舎出身の上京者に多い、的なコラムを週刊新潮か文春で見た気がするが、この番組にもどこと無く同じく匂いがするのが「気持ち悪さ」の主因かもしれない。公の場で、二村監督のようなその手のプロは兎も角、一般の批評家やらライターやらがエロヨタ話で爆笑すると言う図式は、私の凝り固まった主観経験からすると、実はそういう人たちは青春時代が陰惨で、大学からデビュー(若しくは業界人になってから)したような感じのあまり異性経験が豊富ではないような傾向にあると想うのは考えすぎだろうか。

 「業界人的リア充」を必死で装おうとする非リア充ほど見ていて痛々しいモノは無い。それなら伊集院光みうらじゅん先生のように最初っから自らを「DT」と自虐しているほうが数千倍マシだ。



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