29歳になってしまった訳だが


関ヶ原合戦の折、私と同い年だった京極高知
東軍に属したので、京丹後12万石を得る。



 日で小生は29歳になった訳であるが読者諸兄に於かれては如何お過ごしであろうか。思い返せば昨年の今日は、日本文化チャンネル桜で生放送番組「さくらじ」が始まった日であり、当然であるがその当時は震災や原発事故や野田内閣が誕生することになるなど思いもよらず、たった1年で時代の分岐点を跨いだ様であり、隔世の感がある。

 さて話は変わるが織田信長は27歳で桶狭間合戦により戦国の世に鮮烈なデビューを果たした。このような歴史の偉人と自らを比較するのは非常に不遜であるが、私はその昔、信長公を引き合いに出し27歳までに何者かに成らずば自死をも覚悟すると決めていた時代があった。非常に稀有な偶然によりいみじくも私はその27歳で小さな端緒を掴んだといえなくもないが、信長公が桶狭間後7年の歳月を投じて美濃攻略に雌伏したことを考えると、私のような小者は今後暫くは更なる修行と雌伏のときを過ごす以外に無いと考えるところである。

 ではこの29歳という年齢は戦国期においてはいかなる意味を持ったのかを少し紹介しよう。西暦1600年の関ヶ原に於いては、NHK大河ドラマ葵徳川三代」における蟹江敬三津川雅彦江守徹の、例えば蟹江敬三こと福島正則の「ふごるぅああああああ!!」などという強烈な演技が先行して、関ヶ原合戦とは脂ぎった中年男性同士の衝突というイメージをもたれる諸兄も多いと思うが実際はそんなことはない。

 関ヶ原役に参加した代表武将の年齢は以外なことに皆若く、上田城攻略に手間取って「世紀の大遅刻」をし切腹を覚悟した徳川家康の嫡男・秀忠は若干22歳。この歳なら、現代で言うと新入社員1年目であり失態も許されるかと思うが戦国時代は厳しいのである。そのほか家康の息子である松平忠吉結城秀康会津に後詰)など軒並み私より歳下なのだから、29歳というのはこの時代ではもう十分「失敗が許されない重責ある武将」の年齢であるといえよう。

 関ヶ原に参加した29歳前後の武将は、関ヶ原で正面で奮戦した京極高知(東軍・兵力3,000)や西軍で最も大軍を動員した宇喜多秀家(兵力1万7000)などである。それ以外はもっと若い場合が多く、有名であるが金吾中納言小早川秀秋)はわずか17歳である。いまでいう高校生のガキに西軍を裏切るか否かの日本史に残る重大決断を強いていたのであるから時代も酷である。

 要するに私が何を言いたいかというと戦国時代に生まれなくて良かったということである。というのは嘘で、29歳はもう十分に「ヤバイ」年齢であるということだ。私が小学生のころ、29歳の親戚は酷くくたびれた中年のオジサン・オバサンに見えたものだ。それを裏付ける訳ではないが最近20代30代の幼稚化の声を耳にする。平均寿命が延びた所為か、はたまた「パラサイト・シングル」に代表される非自立の大人が増えたからだろうか。いまの30歳は一昔前の20歳に該当するなんて言葉も聞く位である。実際に私と同年でも驚くほど精神的に幼稚なものも居れば、年下でも精神的に非常に老成している者も居る。千差万別であるが、仮にその計算式で言えば、29歳の私は昔の19歳と同等ということであるが、何度も言うが19歳にしても戦国期には一人前の武将として戦場に借り出されており、どちらにせよ29は「ヤバイ」年齢であることを自覚せねば成らない。(実は数年前から自覚してはいるが)その「ヤバサ」を自覚せずして祖国愛だの社会学だの云々を叫ぶ事こそ格好の悪いことは無いと自戒を込めて思う。ただし私の髪型と髪色のことは勘弁して欲しい。そんな焦燥感に駆られつつ、迎えた今日であった。

2011.11.10 池袋にて





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