らき☆すた22話「ここにある彼方」 一瞬のカットで魅せる心理描写

さて、らき☆すた22話であるが、泣けるだのイイ話だという感情論をここで取り上げるのではない。見ていない人は是非とも見たらよいが、そもそもらき☆すたって何?という人のために今回の話を簡単に説明する。まず、こなたとその父、居候の親戚ゆたかという3人が一つ屋根の下で暮らしているのであるが、こなたの母はこなた幼少の頃、既に他界していない。今回は、幽霊?になった母が中睦まじい父親と娘に会いにくる(無論、二人には見えていないという設定)というオーソドックスなお涙劇である。ここで重要なのは、ゆたかというこなたより2個下の親戚の女の子が、こなたとその父に対してみせる気配りである。父は、母親の話題になって気まずくなったのか、ゆたかに対し「お風呂に入ってきなさい」と言って居間から追い払うのであるが、ゆたかもそれを敏感に察したようにそそくさと風呂場に去っていく。

そして、泣ける話、として回想シーンはここから始まっていくのであるが、それはこなたの父と母の馴れ初めの回想を通じて話が進行していく。都合上、やはり風呂場に退散したゆたかは、すぐに風呂を出て居間に戻ってきてはいけない。親子のつかのまの時間、そして父の記憶の中にある美しい妻(母)への思慕の時間を邪魔するわけには行かないのである。普段は、家族同然のようにこなたを慕ってはいるが、やはり触れてはいけない一線と言うものを知っている、そういう演出が一カットだけ登場するのである。下記のキャプチャがそれであるが、いよいよ亡き母の話はここから、というところで一瞬だけゆたかがいる風呂場のカットが登場する。何も説明はないが、このカットの挿入こそが、風呂場にいるゆたかの「いま出て行ってはいけない」という何とも言えない心の優しさと気遣いを表現していると言えよう。

注意深く今回の回を見れば、ゆたかの微妙な立ち位置に由来する繊細な心の情景が見て取れると言うものであろう。いやはや、京都アニメーションは1秒に満たないようなカットで登場人物の心情の全てを表現するのである。素晴らしいですね。


文・古谷経衡(アニオタ保守本流

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