”老い”と宮崎駿


日本アニメ界の第一人者、宮崎駿氏は2007年の今年御年66歳であるが、彼の絶頂は1997年であった。即ち、もののけ姫でありつまりもののけ姫でありそしてもののけ姫であった。カリオストロナウシカラピュタ紅の豚もののけ姫ローマ帝国五賢帝の時代であるとすれば、それを最後に以後は坂道を転がり落ちるように、彼の才能は老いと共に枯渇していくことになる。

まず、凋落の兆しはもののけの物の怪的大ヒットから4年が経過した、2001年に公開された「千と千尋の神隠し」に垣間見ることができよう。ハクさまが如何にツンデレか、と言うことではなくこの作品の核心とも言うべき物語の構成が破綻していることに、懸命なる読者諸兄は気が付いていたであろう。

即ち、物語の終局でハクが自身の本来の姿であるところの龍に変身する場面であるが、ここにきて初めて唐突に千尋とハクの関係性が暴露されることになる。千尋が幼少時代近所の川に溺れ、実はなんとその川の守り神がハクであったという”オチ”なのだが、宇宙戦艦ヤマトに於ける真田隊員の「こういうこともあろうかと思ってな」に匹敵するとってつけた”オチ”に、読者諸兄も思わず己の耳を疑ったに違いない。かくいう管理人も、さては物語序盤の伏線を見逃したのか?と一瞬疑ったがそんなことあるはずはない。言うまでもなくこの”オチ”に伏線などないのである。

「これは失敗だ」と管理人は劇場で直感した。実際、それ以前の宮崎駿作品に、そのような「チョンボ」など無いのである。これはもしかして宮崎駿という天才が老いてきているのか、と疑った。今回の”オチ”は素人が考えても序盤若しくはそれに類する場面で、伏線を張ることなど容易であるからである。なあに、直接映像化する必要は無いのだ。豚に変身する前の親父が四輪駆動のアウディで森に入る前にひとこと言えばいいだけである。そんな”簡単な”事ができなかったのは何故か。

続く3年後の2004年に公開されたあのハウル、そうあの「ハウル主体思想」もとい、「ハウルフォークランド紛争」失礼動く城だが、まさに宮崎駿の老いがそのまま具現化された作品であった。これは同じく劇場で管理人は、「こいつはもうだめだ…早くなんとかしないと…」という2ちゃんねるで有名な例のデス・ノートの主人公AAばりに呆気にとられたのであるが、前作の千と千尋で危惧された物語の破綻が倍倍ゲームで加速している。



いやすでに物語ですらない。演出は総じて散漫で、絵コンテの段階からカットの無駄の何たる多いことかが手に取るように分かる。省略法を極端に忌避し、わざわざ描かなくとも良い徒歩移動のシーンが多すぎる。古くは伴大納言絵巻、そして近代ではキューブリックが開発し、タランティーが完成させた「時間軸のループ」も、もののけでは如何なく発揮したのに、ハウルではまったくそれを放棄して、わざわざフィルム時間を稼ぐためなのかと勘ぐらせるような意味の無いカットを挿入しすぎる。



”見ていて疲れる”映画の典型だ。女の子がネズミとか精霊とか良く分からない昆虫などを従えてただただぞろぞろぞろぞろと歩くだけの、「千と千尋」で感じた違和感がそのまま進化している。いや悪くなっているから退化している。



この人(宮崎氏)はすでに組織的に体系だって物語を構築する術をなくしてしまったのではないか。正直なところ見るに耐えなかった。1,500円(大学生料金ね)返せ、と宮崎氏の映画ではありえない感想だが、初めてそう思った。物語は破綻し、物語の構築すら失敗し、ひたすら頭の中でかわいい、楽しい、面白い、と思うことだけを絵にし、彼がもののけ以前に見せた、そう、たとえばラピュタカリオストロで見せた、極限まで贅肉をそぎ落とした無駄の無い演出と脚本からは程遠い、彼自身のナウシカ漫画版の台詞を借りれば「醜い肉塊」になってしまったのである…。

しかし極めつけは、物語の序盤で第一次大戦時代の仮装巡洋艦みたいな艦隊の描写と、町の上空から宣伝ビラが落ちてきて憲兵が「敵の謀略ビラを拾うなー」というシーンである。いくら自分が描きたくとも、物語の本筋と関係の無い描写を無理に付け加えるのは末期である。まるで、よぼよぼの老人がし尿を垂れ流しながら唯一野球観戦にだけ異常に目を輝かせるのと似ていて、これはもう宮崎駿オワタ\(^o^)/としか言いようが無い。

一体、カリオストロを作った宮崎氏のあの輝きはどこに行ったのであるか。これは本当に同じ人物が監督した作品なのであろうか。宮崎氏は、息子の五浪だか六浪だかがあまりにも”アレ”なので、もう一度崖の下のポニョだか崖の上のポニョだかを作るそうであるが、また小さな子供が変な妖精や小動物や小鳥などを従えてぞろぞろぞろぞろ歩くのではあるまいな。

いやここまで言うのは宮崎駿氏を嫌いなわけでは決してなくまた貶める意図もなく、ただただ彼のもののけ以前の華麗なる演出のテクニックをもう一度スクリーンで見たいがためである。老いたとはいえ宮崎氏まだ66歳、市川崑監督はもう90歳に近いのに感性そのままの現役である。まだまだ老いが来るのは早いのではないか。いや、ホント、頼みますからね。




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