毎夏恒例、時をかける少女…の自主制作

去年も地上波やったよね。毎年夏の恒例行事となりつつある、細田守監督のアニメ版「時をかける少女」地上波放送。

管理人が監督(監督名:古谷経衡)として、友人と一緒に「実写版時をかける少女」を作ったのは本年5月上旬である。動画投稿サイトで公開したのは6月の上旬だが、公開わずか1ヶ月たらずで3,500アクセス以上ご覧頂いた。但し、重複アクセスもカウントするので実際はその6〜7割程度かもしれないが、アクセス数にしろ、批判や応援のメッセージにしろ、製作者としてユーザーの反応を聞くことができるのはこの上ない喜びである。

作品詳細はこちら→http://genbu.bakufu.org/moviefile.htm
玄武映像→http://genbu.bakufu.org

ニコニコ→http://www.nicovideo.jp/watch/sm3637503 有志の諸君はコメントヨロ。
ちなみに正式タイトルは「時をかける青年」ね。


ニコニコでこの動画を投稿したときに、「原作やアニメ版への侮辱」などとコメントがあったが、とんでもない私の心は全く逆。これ以上ない原作と細田版へのリスペクトのつもりだ。

確か、細田版の劇場アニメが公開されたとき、時の政権は安倍内閣だった。盛んに「美しい国」という単語が喧伝されていたように思う。私自身、政治心情的に改憲派だし、規制緩和などのいわゆる新自由主義には一定の理解があったが、この当時の安倍首相曰く”美しい国”には猛烈な違和感があった。安倍首相は、映画「ALLWAYS三丁目の夕日」が熱烈に好きで、曰く稲穂が輝く田園風景だの、下町の隣近所での助け合いだの、町工場での経営者と従業員の家族的一体感だの、”美しい国”の中には、そういった「古きよき日本」の原風景とやらが強烈にイメージとしてあるのだと思う。

私は、細田版の時をかける少女を見て、これはそう言った懐古主義とは対極にあるなと感じた。いま、この平成も20年を過ぎ、バブル経済も遠く歴史の彼方になりつつある現在、失われた10年だの、羅針盤のない日本経済だのといろいろな批評があるが、一体この時代にそういった”美しい国”だのの懐古主義を叫んだところで、どこに稲穂が光る田園風景があり、どこの下町に隣近所同士の助け合いがあり、どこの工場に家族同然の一体感があるというのか。いま、この国にあるのは棄農同然の休耕田と過疎の農村、大手デベロッパーによって建設された無機質で巨大な複合マンション郡、そして中国やインドの安い人件費に押されっぱなしで、後継者もろくにいない町工場の荒んだ風景である。

我々がリアルに知っているこの国の風景とは、真夏の青空の下にあるマンションと建売住宅の混在地や、何気ない私鉄沿線、コンクリートジャングルの中を流れる人口芝生の河川敷…。この風景こそ我々の知っている”美しい国”ではないのだろうか。であるなら、時をかける少女にこそ、まさしく現在と現実を生きる”美しい国”そのものが描かれているのだと思う。もういい加減、適当な懐古主義で現実から目を逸らすのをやめにしよう。

田園風景も、下町も、町工場も無いが、リアルの中に生きる女子高生がひたむきに前のめりに走っていく、そんな情景こそ本当に”美しい国”に生きる等身大の若者の姿であると思う。私は見事に原作の昭和色から”平成のリアル”を再構築し、そこに等身大の若者の姿を走らせることに成功した細田版を心から尊敬し、このパロディ動画を作ったのである。この動画が、視聴者諸兄の脳裏に一瞬でも、あの夏の、美しい青い入道雲を浮かび上がらせたのであるなら、監督としてこれ以上の喜びはない。


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