スカイ・クロラ雑感〜君はティーチャーを撃墜できるか?〜

 IGポートの株主なので当然だが、押井守監督「スカイ・クロラ」初日に友人と丸の内TOEI2にて鑑賞。
客の入りは7分と言った所である。イノセンスも公開初日に行ったがそのときの入りと変わらない感じ。こんなもんでしょう。男女比はおおむね8:2、カップルはほぼゼロ、面白いことに女性客は女2人連れが多かった。如何にも「硬派なアニメが好きです」と言う感じの客層(かく言う私もその一人である)、大体20代〜30代中心。ガキが一人も居なかったのにワロタ。
 さて肝心の本編であるが、一言で感想を述べると、歴代押井守監督作品の中で最も感動した。押井監督はプレスリリースの中で、「僕は今、若い人たちに伝えたいことがある」と仰られたが、その心は月並みに言うなら
「生きろ」
ということだ。
 こう書くと宮崎駿の”もののけ”も、糸井重里が考えたキャッチコピーが「生きろ」だったが、もののけの「生きろ」は、何だか良く分からないけど取り合えず頑張って悩みながらやっていこうや、というものだったのに対し、スカイ・クロラではより強い「生」に対する訴求であるように思えた。押井監督が「ビューティフルドリーマー」で描いた『糞みたいな現実でも嘘の世界よりはリアルで生きたい!』という叫びからより一歩進化した作品が本作のテーマである。この作品を恋愛映画などと喧伝している人間が居るが、恋愛映画などとんでもない、狂おしいばかりの「生」に対する渇望が本作のテーマである。いわば、スカイ・クロラはそのテーマ的にはビューティフルドリーマー2」と言えるのである。
 ネタバレになるのであまり仔細を明かさないが、劇中舞台が東欧風の情景で、世界設定も欧州という事になっているが、全てが欺瞞に満ち、最初から仕組まれたデキレースの中に放り込まれ、何故?何のために?という根本的な理由への問いかけもそこそこに、ただただ目の前に押し寄せる刹那的な何かの対応に忙殺される、という本作の主人公たちは、まさに欺瞞と絶望が支配する現代日本に生きる若者たちの象徴である。
 現代日本において、何故?何のために?というそもそもの問いは最早意味を成さなくなっている。どんなに頑張っても絶対に勝てない相手=ティーチャーの存在は、既得権益にしがみ付いた老人たちによって格差が固定され、雇用モラルが崩壊した労働現場でひたすら奴隷として搾取される日本の若者達の、「どんなに頑張っても這い上がれない」まさに蟻地獄の象徴なのである。劇中設定では、主人公たちは”キルドレ”と呼ばれ永遠に年をとらない少年少女なのであるが、ただひたすら殺し合いという刹那的な対応に忙殺される毎日が永遠と続く、無間ループの渦中に居るのである。その中で時間の感覚も生の感触も、そして生への執着さえも何か霧に包まれたかのように、おぼろげでか細い存在になってしまう。ならばいっその事死のう、という堪え切れない絶望に対し、押井監督は今回、明確に「NO」と言った。生きていれば風向きが変わるときもある、そして好機が来ればティーチャーを撃墜するときが来るやも知れぬ…。本編で主人公がティーチャーを撃墜するのかしないのか、はたまた何をするのかは劇場に足を運んでもらうことにして、押井監督は最後までわれわれに、この絶望の国を生きているわれわれに、
「君はティーチャーを撃墜できるか?」
と問うているような気がしてならない。果たしてわれわれは、私は、ティーチャーを撃墜できるのか…、まだ答えは分からない、永遠に答えは出ないかも知れぬ。しかし取り合えずやってみることだ、そしてその日まで生き残ることだ。



スカイ・クロラ The Sky Crawlers@映画生活

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