日本アニメ界の終焉、らき☆すた土師祭〜自分を客観視できない人々〜

産経新聞ニュースから抜粋

 関東最古の大社「鷲宮(わしのみや)神社」(鷲宮町)で7日開催された「土師(はじ)祭」で、テレビアニメ「らき☆すた」の美少女キャラクターをあしらったみこしが登場。全国から集まったファン約120人が担ぎ手となり、神社と商店街約1.6キロを練り歩いた。今年は約2万人増となる約5万人が参加した。
らき☆すた」は女子高生の日常を描いた4コマ漫画。美少女姉妹の住む「鷹宮神社」は鷲宮神社がモデルとされ、“聖地巡礼”と称して昨夏からアニメファンが詰めかけ、今年の初詣でには前年の倍以上の30万人が訪れた。土師祭は鷲宮神社に奉納されている「千貫神輿」を若者が担ぎ、街を練り歩く祭り。「らき☆すた神輿(みこし)」は重さ約130キロ。中の明かりでキャラクターが浮き上がるようになっている。ホームページで担ぎ手を募集したところ全国から応募が殺到、3日で100人の定員をオーバーした。一番に担ぎ手に申し込み、“巡礼”は10回目という富山市の男性(24)は、「昨晩は寝られなかった。感無量です」と話していた。

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080907/trd0809072048017-n1.htm

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 正に無気力・生命力皆無、受身一辺倒の現代日本の象徴の様なニュースである。正直管理人は、らき☆すたと言う作品はアニメ作品として高く評しているし、京都アニメーションと言う製作会社のクオリティもきわめて高いと理解している。それは過去の当ブログについて散々論評した(らき☆すた22話「ここにある彼方」 一瞬のカットで魅せる心理描写 - アニオタ保守本流)、(「らき☆すた」に見る京アニのチャレンジスピリッツ - アニオタ保守本流)、(涼宮ハルヒの憂鬱・12話ライブアライブ・フィルムに具現化された奇跡 - アニオタ保守本流)のでそちらをご覧になっていただくとして、しかし、聖地巡礼は兎も角、「土師祭」とやらでらき☆すたファンが5万人も集結したと聞いて、嫌な予感がしたがその予感は的中してしまった。

 下記(最下段)の参加者と思われるユーザーがニコニコ動画に投稿した動画をご覧になって欲しい。無論全編を見る必要が無いがいい歳をこいた気持ちの悪い大人たちが、萌え!萌え!と大声で連呼しながららき☆すたの神輿を担ぐ姿は、はっきりいって正真正銘のキチガイ以外の何者でもない。この参加者たちは、自分達を客観視することができないのであろうか。彼らは我々の知っているアニメオタクやアニメファンなどでは無く、勿論古今のいかなるファンやオタクにも分類されない全く新しい異質の集団である。

 その昔、かの庵野秀明アニメージュ誌上でオタク論というものを語っていたのが記憶に残っている。庵野秀明は青春時代をリアルで円谷英二ウルトラマンシリーズや、宇宙戦艦ヤマト、そして1stガンダムの放送に接し、オタクとしての才能?が開花していく訳であるが、彼は青春時代(思春期)に自分に影響を与えたアニメや特撮をベースに、大阪芸大の学生時代にかの名作「愛國戦隊大日本」などの自主制作映画や、そしてDAICONフィルム⇒王立宇宙軍GAINAXの設立とその道を駆け上がるわけである。このような草創期の創作に対する情熱を、彼は誌上でこのように述べていた。
 「自分はウルトラマンガンダムなどに大いに影響を受けたが、その何れにも完全に満足する事はなかった。即ち、どんな素晴らしい特撮映画やアニメを見ていても、このシーンはもっとこうした方がいいのに、このキャラクターはもっとこうであったほうがいいのに、この部分の脚本はもっとこうであったほうがいいのに・・・という自分の中の作品に対する半ば勝手な理想と、現実のそれとのズレを常に感じていた。自分がオタクになって、自ら映画やアニメを作り出したのは、このような己の中にある作品に対する勝手な理想像と現実のそれとのズレを常に埋めていこうとする欲望に他ならない。アニメ製作と言うのは私にとってはそういうことである」

 管理人はこの記事を読んで深い感慨と共感を覚えた。例えば、BLEACH(ブリーチ)に登場する松本乱菊は劇中で決してSEXをしたりはしないが数多の同人誌の中で彼女はSEXしているし、コードギアスルルーシュとスザクは劇中において同性愛者ではないが、同人誌の中では彼らはゲイカップルだったりゲイSEXをしている訳である。このような現象は、庵野氏と形は違えど、ブリーチなりギアスなりのコアなファンが、「松本乱菊に対してこうあって欲しい」「ルルーシュとスザクにあってはこうであって欲しい」という理想であり、彼ら(彼女ら)がその理想を同人誌の中に表現するのは、正しく庵野氏のいう「オタクの理想と現実のズレを埋める行為」に他ならないのではないだろうか。

 翻って今回の、埼玉県の土師祭とやらを観てみると、この神輿を担いでいる人にそういう「ズレを埋める欲望」と言う意思が全く感じられないのは気のせいではあるまい。神輿を担ぐ狂気の大人たちは、ひたすら作品愛・自己愛・満足感に浸っている。最早彼らからは、「オナニーをしたい。もっとやりたい、もっと気持ちよくなりたい」と言う受身一辺倒の、ともすれば享楽的なモノしか認めないファシストの意思しか感じられないのである。庵野氏はエヴァンゲリオンが社会現象と成り、にわかファンも含めてエヴァファンが加速度的に増大し、劇場版を作ることになった際、「僕は君たち(エヴァファン)に、オタクをやめろといいたい」という趣旨のことを言ったが正にこのような、受身一辺倒のアニメオタクたちの出現に対する警鐘ではないだろうか。

 オタクというのは本来的に、作品に求める理想の高さから来るフラストレーションに突き動かされる存在であり、本質的に創造性を秘めていると管理人は考える。上記の様な、土師祭に参加するのはアニメオタクでは無く単なる狂人・快感ファシストに他ならない。このような人間が、100人200人なら兎も角、全国から大挙して5万人も詰め掛けると言うのは、冒頭にも書いたとおり、生命力を失い、自主性を失い、自己主張を失い、ひたすら自分をパラボラアンテナにして人から与えられたものだけを咀嚼する、平成の日本人の象徴の様な気がして管理人は空恐ろしささえ感じるのである。

 誤解を恐れずに言うが、「独島は我が領土!」といって日章旗を燃やし、日本大使館に卵を投げつけ、街頭でデモをし、独島観光ツアーに参加して独島記念館で記念撮影をする韓国人のほうが、管理人はよほど人間らしいと思う。下記動画の土師祭(いやむしろ恥祭と呼ぼう)の光景をみるにつけて、今辛うじて豊かなわが国においてはこのような狂気も許されるだろうが、土師祭に参加している狂気の大人達の親の世代が死に絶え、自分の力で経済生活をせねばならなくなる、遠くない将来に彼らにこのような騒ぎをするだけの余力が残されているのか疑問だ。

 「萌え」「アキバ文化」の根底には、豊かな日本しか知らない20代30代の大人が、親の金を食いつぶしてひたすら遊んでいる基礎の上にあるような気がするのは偏見であろうか。そして、彼ら狂気の大人たちが食いつぶしているのは、本当は親の財産などでは無く、先人達が営々と積み上げ続けてきたこの国の豊穣なアニメ文化の遺産なのかもしれない。




DD


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