ヤマト、発進せず。アニオタが観た”SPACE BATTLE SHIP”

 さて、読者諸兄ももうご存知であろうが、TBSが総力を結集して製作した木村拓哉主演の”SPACE BATTLE SHIP ヤマト”が12月1日から公開されている。無論、アニオタとしてはある種の義務感と共に見に行かざるを得ないわけであるが、先日、某テアトル大森にて鑑賞してきた。その感想を、奇しくも真珠湾攻撃から69周年にあたるこの日に書くのは歴史の皮肉とでも言おうか。

 例によって、この先はネタバレになるのでまだ本作”SPACE BATTLE SHIP ヤマト”をご覧になっていない方で、微塵のネタバレも許さぬという厳格な諸兄は即座にブラウザーの「戻る」ボタンで押して貴兄のホームに帰っていただいて宜しい。既に鑑賞された方、さらには未視聴であるのに如何なるネタバレをも厭わぬという猛者のみ、この先を読み進めることをオススメしたいのである。

★警告!ここからネタバレ★



1.”SPACE BATTLE SHIP ヤマト”の良い点

 えー早速で恐縮だがまず本作の良点を述べると、これはもう「ALWAYS 三丁目の夕日」でお馴染み、本作の監督・山崎貴氏の力量を存分に発揮していると言えよう。この部分において、特に空中戦(宇宙戦)や爆発シーンなどは「日本人がはじめて挑むSF超大作」の冠は過言ではない。良点といえばまぁ以上である。

2.ここがヘンだよ”SPACE BATTLE SHIP ヤマト”

 徐々に辛辣になっていく前に、一寸変だ(いや本当に”一寸”か?笑)と思ったことを列挙してみたい。

★2-1 残された地球人とは何者か?

 原作のアニメシリーズでは、地球防衛軍の司令長官が残された地球人類を地下都市で統率しつつ、じっと我慢の子であった…もといじっと遊星爆弾の放射能に耐えヤマトの帰りを待つ描写が度々あるが、本作の地球側の司令官(橋爪功)は、記者団に関して「日本国民の皆さん」と語りかけている。これは明白な脚本ミスではなかろうか。ヤマトの帰りを待っている人々が何者なのか、分かりづらい。

 さらに、橋爪功に詰め寄る前述の記者団の数がそこら辺の芸能人の出版会見より遥かに少ない。いくら人類が放射能で存亡の危機とはいえ、残された人類最後の戦艦を発進させる記者会見に、なんでとってつけたような”劇団風”の記者がほんの10人ほど居るだけなのか。VFXに金をかけるのがいいが、こういう「地の部分」にも気を配らないと作品の奥行きが殺されてしまう。邦画の限界を感じる一幕であった。

★2-2 イスカンダルに到着するのが早すぎる

 原作アニメのヤマトでは、冥王星ガミラス前線基地に到着するまでに殆ど前半の全てを投じるが(もっとも、視聴率不振による話数のカットのせいだが…)、本作では特に何の苦も無く、ちょっとハイキングにでも行くように、すぐにイスカンダルに到着してしまう。そして、その間の時間経過の説明が一切無いため、ヤマトが地球を出発してから今が何日目なのか分からず、見ている観客の時間的感覚が狂ってしまう。見方によっては2日で到着したようにも、1ヵ月かかったようにも見える。なぜ、原作アニメのエンドに必ずある「地球の滅亡まであと○○日」というクサイほどの演出スタイルを踏襲しなかったのだろうか。あの演出は時間経過の説明を一言で説明する非常に効果的なものであった。ナレーションをささきいさお氏に任せている場合ではない。もっとも、”尺が足りなかった”という「言い訳」もできようが、時間的経過の説明は、映画的演出により如何様にも可能であることは、近年では片淵須直監督の「マイマイ新子と千年の魔法」により証明されたばかりであるから免罪符にはならない。

★2-3 ヤマトってあんなに人少なかったっけ?

 現実世界の、超弩級戦艦大和には、二千数百人から三千人までの乗組員が乗船していた。これは機関部分をはじめ艦橋司令部や対艦砲、対空銃座・電探及び対空対艦監視要員、航海関係、計算士、糧秣関係、医務、各種技術者その他諸々の、巨大艦船を航行させるに必要な要員からの逆算の人数がそれである。原作のアニメでも普段はブリッジ内の主要面子(古代・沖田・佐渡・島・森・真田等)だけが映るが、その実、遠景では藁藁と乗組員が乗船・下船する光景が描写されている。ところが本作”SPACE BATTLE SHIP ヤマト”では、ヤマトの総乗組員数は艦長いれてせいぜいが40名程度と描写されている。

 いくら未来世界とはいえ、たかだか40名程度で”SPACE BATTLE SHIP”が14万8,000光年までの長躯を旅できるのか疑問である。その癖、女医と設定が変わった佐渡先生(高島礼子)は若干メタボ気味の猫を乗船させているなど余りにも不明点が多い。この人たちは一体何を考えて”出撃”しているのだろうか。原作アニメでは、きちんと乗組員の食糧・水・空気を完全自給するシステムが明朗に説明されているが…。VFXに金をかけるのがいいが、こういう「地の部分」にも気を配らないと作品の奥行きが殺されてしまう。邦画の限界を(ry。…まぁ、重箱の隅を突いても仕方ないのでこのくらいにして本題に映ろう。


 3.”SPACE BATTLE SHIP ヤマト”が発進できなかった理由


★3-1 何故ガミラスを描かないのか!?テーマ性の崩壊

 当たり前の事だが、”SPACE BATTLE SHIP ヤマト”最大の失敗点の一つが、お馴染みガミラス帝国の描写が全く原作と異なることである。まず本作”SPACE BATTLE SHIP ヤマト”では、原作のガミラス帝国が「帝国」ですらなく、何か超自然的な宇宙生命体、エヴァンゲリオンで言うところの”使徒”のような無機的な存在として描かれていることである。当然の如く顔色の悪いデスラー総統が登場することも一切無い。そもそも、ガミラスとかデスラーとかイスカンダルと言う単語の定義すら本作は不明瞭である。

 何故これが問題なのか。それは、言わずもがな原作である宇宙戦艦ヤマト」が第二次大戦の、太平洋戦争(大東亜戦争)のオマージュであるからに他ならない。

 地球を遊星爆弾により無慈悲に攻撃する侵略者=ガミラス帝国が、その実、惑星として存亡の危機(惑星寿命)を向かえ、止むに止まれず移住先の惑星を探していたこと。遊星爆弾で攻撃するのは、ガミラス星人が放射線のない土地では生きられない生命体であること。侵略者と思っていた憎き敵が、実は彼らですら同胞を思い、家族を思う心からの「人間性」の発露により”侵略”を行っていたという事実が明るみに成ることによって、戦争の悲惨さの何たるかを、戦争の無益さの何たるかを「宇宙戦艦ヤマト」は描写していた。それは、戦争とは決して片方が100%の悪ではないことを炙り出す、「宇宙戦艦ヤマト」という作品の根本的なテーマだったはずである。これこそは、第二次大戦のオマージュであり、原作者・西崎義展氏の謳い上げたテーマ性である。だからこそ、ヤマト1ではコテンパンに滅ぼされた筈のデスラーが、後にヤマトの味方となって戦うのは、決して一方が絶対的な悪ではないという、戦争そのものの本質を炙り出した「宇宙戦艦ヤマト」のテーマ性の証左である。

 それが、本作”SPACE BATTLE SHIP ヤマト”では、敵を人間として描かないことによって、全くこのテーマ性を崩壊させているどころか、台風とか地震とか雷とかの自然現象に対抗するといった風な、無味乾燥な人類の天変地異騒動記に終始してしまっているところが残念を通り越して怒りすら感じるのである。

 繰り返し言うが、ヤマトは天変地異の対処の為にイスカンダルに向かったのではなく、戦争の為に”出撃”したことをお忘れ無きように。


★3-2 大和がヤマトである理由をもう一度考えよう

 まず、宇宙戦艦ヤマトは、当然の如く第二次大戦末期に九州は坊ノ岬沖に沈んだ超弩級戦艦大和を海底にて宇宙戦艦に改修したものがベースの設定になっているわけである。この理由をもう一度考えてみるべきではないのか。それは、原作者・西崎義展氏が滔々と語る処にその全てがあろう。「実際の戦艦大和は、二度と祖国日本に帰ってくることは無かった。私は、海の底に沈んだ大和を、たとえSFの世界でも良いから、再びヤマトとして故郷に帰してやりたい。その思いで宇宙戦艦ヤマトを作った」と。

 これこそがヤマトの全てではなかろうか。つまり、坊ノ岬沖に沈んだ、不遇の戦艦ヤマトを、架空の世界の中で宇宙戦艦ヤマトとして復活し、現実では二度と再び故郷に帰ることが無かった大和を、もう一度ヤマトとして帰してやりたい、という西崎氏の熱い思いが注がれているのである。いみじくもささきいさお氏が歌うOPの通りである。

”かならず ここへ かえってくると
てをふる ひとに えがおでこたえ”

 原作アニメで弩級戦艦大和が米軍艦載機の猛攻に晒され爆沈し、海底に沈むシーンが何度も描写される。原作アニメのOPで、海底に沈んだ最早スクラップの大和が、恒星間旅行に耐えうるだけの改修を終え、泥濘の中からまるで不死鳥の如く復活するヤマトの姿が毎回描写される。それは単にいち戦艦の復活ではなく、決して成し得なかった先人達の想いの復活に他ならない。だかこそ、ヤマトは大和でなくてはならず、長門でも日向でも伊勢でも赤城でも加賀でもないのはここにそ理由があるのだ。

 その為には、先に述べたように第二次大戦の戦艦大和の史実の描写が、どうしても必要であった。超弩級戦艦大和宇宙戦艦ヤマトの連続性こそが、実は「宇宙戦艦ヤマト」の最大のテーマであるといって過言ではない。

 原作ではふんだんに使用された、史実の大和爆沈のシーンが、本作”SPACE BATTLE SHIP ヤマト”では一切無いのは誠に原作の精神を無視した暴挙であるといわねばならない。しかし、たった一言だけ、主演の木村拓哉(古代)が、「1945年4月、絶望の淵にあった大和」云々という、たった一台詞だけこの本作最大のテーマである、超弩級戦艦大和宇宙戦艦ヤマトの連続性を語るシーンが終盤にある。確かに”無いよりはマシ”だが、VFXに金をかけて何故第二次大戦の大和の回想シーンを、「映像として」挿入できないのか。全く意味不明な展開に笑止である。「日本人がはじめて世界に挑むSF」なら、この戦艦大和との連続性を語れなくて何が世界に問うか。繰り返し言うが、この木村の台詞が立った一言だけ挿入されたのは、一筋の救いではあったが、何か性質の悪いアリバイのように思えて極めて後味が悪い鑑賞であったことは否めない。

 沖田艦長役の山崎努が「ヤマト発進せよ!」と決然として言い放つが、私にはどうしても本作”SPACE BATTLE SHIP ヤマト”ではヤマトが発進しているようには思えない。ヤマトの発進を邪魔している原因は、ヤマトが埋もれている土砂では無く、本作の製作者TBS、ひいてはその周辺の勢力にある、大和とヤマトの連続性を明瞭に語ることの出来無い、その可笑しな戦後左翼的意識そのものにあるのではないだろうか。


※アニオタとしての義務で行ってきたテアトル大森。客は…公開1週間以内にも関らず、一桁であった…(まーテアトル系列はいつも閑散なので…)




 アニオタの、アニオタによる、アニオタの為の本格的アニメトークラジオ『ニコニコアニメ夜話』。
↑上の画像をクリックすると『ニコニコアニメ夜話』特設サイトに移動します。


☆アニオタ保守本流ブログランキング参戦中*木戸銭代わりにクリック願います!↓↓

banner_02.gif