医薬品ネット販売判決から考えるネット蔑視思考

 医薬品ネット販売訴訟について最高裁で国の上告が棄却され、確定した。*http://news.biglobe.ne.jp/domestic/0111/ym_130111_1611542266.html記事 2009年の改正薬事法の施行以降、3年ぶりにして事実上ネットでの医薬品販売が復活する。既にヤフーなどが販売復活に向けて動いていると言う。時間は掛かったが素晴らしい判決だと思う。

 2011年だったか、TBSラジオのdigで、評論家の荻上チキ氏の回でこの問題が話題になり、薬剤師の堀美智子という人がゲストで呼ばれていた。彼女は元薬剤師会理事の経験もあり、終始徹底してネットを見下した意見を口にしていたのを今でも覚えている。要するに、「ネットで情報を得るような奴は馬鹿が多いので、我々薬剤師という専門家が彼らの危険な行動を諭し、教導しなければならない。だからネット規制は必要だ」という論を展開していて、流石の見下し思考に荻上氏も反論していたように思う。

 堀のような思想は単なる専門屋の思い上がりという範疇ではなく、「上からの近代化」がまだ有効だった石炭時代の根本的な発想と同じである。要するに、少数の教育を受けたエリート階級が存在して、そのエリートたちがその他の大多数の愚民に、良質で洗練された情報や知識を上から普及することによって国の発展を計る、という思考である。大学進学率が1%とか5%だった昭和初期や高度成長時代なら兎も角、国中に高度ネットワークが張り巡らされ、大学進学率も50%を超え全入時代と言われ、学ぶ意欲があれば社会人入学や放送大学や本屋や図書館がある現在、堀の言う「洗練された一部のエリート専門家集団」と「ネットで1類医薬品をショッピングカートに入れる人」の差は縮まってきている。「ネットの情報だけで薬を買う奴は馬鹿だから」という理屈は、基本的にこの石炭時代のエリート論を基調としている思考だ。

 そもそもかつて「先生」や「聖職」と言われた政治家や学校教員に目も当てられぬほどの馬鹿と、人格や性癖が歪んでいる奇形犯罪者が溢れかえっているのだから最早、石炭時代のエリート論は何処にも通用しない。

 最近、ネットを馬鹿にするのが流行っているようだ。SAPIOの「ネトウヨ亡国論」とか、週刊朝日の「安倍晋三ネトウヨ」とか、小林某の「2ちゃんねる便所の落書き」「ネットは社会的底辺」とかいうのがその典型だ。そういう事をいう人はどこか自分のことをエリートだと思いたいのだろう。しかし本当のエリートは人を馬鹿にしたり見下したりはしない。なぜなら圧倒的に優れているから、人を貶したり人と比較する必要がないほど強者だからである。富裕層が「私は大変な金持ちです」と叫んだりしないのと同じである。中途半端な貧乏人ほどブランドに拘るのに似ている。

 自分は本当のエリートではなく、本当のエリートにはなれない中途半端な二流であるというコンプレックスが何処かにあって、どうしても「ネットが馬鹿」だと言わなければ精神のバランスが崩れるのであろう。適度ならば良薬だが、過度なコンレックスは人を歪める。青春時代、目立たず辛いことが多かったのだろう。人を見下すことに快感を覚える人間ほど、哀れな人はいないと思う。

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