2007年アニメ総括2地球へ…

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さて、2007年総括第二段は「地球へ…」であるが、残念ながら管理人は原作の漫画を読んだことが無いので原作については全く無知であり論評することはできないのである。原作についてはおいおい読むとして、なぜ「地球へ…」を本年の総括アニメにしたのかと申せば、管理人は第一話を見たときに、「ああ久しぶりに本格的なSFアニメが始まったなぁ」とずいぶん感動したからである。



無論、原作が本格SFなのであるから当然であるが、こんなご時勢にこんな渋い企画を出してきちんとクオリティを維持しながら26話で終わらせるのはやはり大変重要で評価されるべきことであると管理人は強く思う。

「地球へ…」を全話見終わった読者諸兄ならばわかるはずであるが、全般に相当程度高い作画のクオリティを維持して丁寧な作り込みになっているのがわかる。流石南町奉行所である。演出面についても、特に目を引く奇抜なものは無いものの、総じて安定しており古典的SF作品を現代版としてアニメ化するにふさわしい安定性であろうと管理人は思う。

さて、ここで管理人は原作を読んでいる読者諸兄に質問なのであるが、一体「ミュウ」と呼ばれる彼らはなぜそんなにしてまでテラに行きたいのであろうか??原作には明確な答えがあるのかもしれないが、今回のテレビアニメ版のみしか見ていない管理人にとって、ミュウたちがあそこまで偏執的にテラを目指すのがどうしてもわからないし納得のいく説明が最後まで無い様に思った。管理人が考えるに、テラに行きたいのはミュウなのではなくてソルジャーブルーという個人なのであり、彼の個人的な意思をさもミュウ全体の総意であるかのようにプロパガンダし、組織をオルグって強引にミュウ民族を危険な航海に駆り立てているように思えた。

繰り返すが、管理人は原作を読んだことがないのであるが、アニメ版を見る限りにおいて、そう取られても仕方の無い設定上の矛盾が数多くあった。本作の最終回近くで、ジョミーが「われわれの心の中にテラが強烈にインプットされている」からテラを目指すのだ、という理屈を言う台詞があるのだが、それならば途中の殖民都市ナスカで「現地に残る」旨を伝えた一部のミュウたちの存在と矛盾しては居ないか。



ジョミーいわく、テラに行きたくて行きたくてしょうがない、テラに行かないと頭がおかしくなる、というニュアンスのことを言うわけであるが、実際にミュウたちはそうでないものもたくさん居るわけで、どうもテラを目指す動機というのが不明であるのである。第一、肝心のジョミー自身が、ミュウの船に乗った当初「そんなのどうでもいいから早く家に返せ」という論者だったのであり、それが次第にリーダーとしての経験を積み重ねて帝王学を学んでいくうちに、テラの重要性を認識していくという描写なのであるから、ミュウの心の中にあるテラへの慕情は、完全にミュウによる教育によって与えられた後天的な性質のモノなのであって、彼が言うような先天的に持っている衝動とは全く違うのである。

さらに、実際テラを目にしたミュウたちが、汚染から回復していないテラを見てあまりの理想と現実の落差にショックを受けるシーンがあるのであるが、作品中には「テラはいまだ浄化途上」という設定が一般人類の常識としてあるような設定であったが、それならばミュウたちも、「テラにたどり着いたところでテラは汚染されているまま」という認識ぐらいあったわけであろうし、なぜそのようなことを予想しないまま、十数年の航海を続けるという荒唐無稽な計画を民族全員で成すのであろうか。



テラに移住することが目的であれば、当然移住可能な環境が大前提的に必要なわけで、まだその条件が整っているかいないかも分からない程度の事前リサーチでテラに向けて十数年旅をするというのは些か無謀としか言いようが無い。

それとも、移住目的でなくテラの「見学」が目的ならば、本体とは別にテラ捜索の先遣部隊を編成すれば十分である。しかも、ジョミーいわく、彼らの目的がテラを目指すというのから「人類を支配するSD体制の打破、そして人類の解放」と変更されるあたりから、もうこれは完全に戦争行為であるし、事実ジョミーもだんだんとこの辺から独裁者っぽくなっていくのが(笑)なのである。人類の解放、ってまるでソビエトの「ヨーロッパの解放」みたいですな。

まぁ、揚げ足取りはともかく(反省)テラを目指す、という本作タイトルそのままのにして本作最大のテーマに於ける動機付けが曖昧極まるのが非常に残念である。宇宙戦艦ヤマトは、「365日以内にイスカンダルからコスモクリーナーを取って帰ってこないと人類オワタになる」という強烈な動機付けがあるからこそ途中の強引な設定でも目をつぶれたわけであるが、本作においては、ソルジャーブルーというイケメンお兄ちゃんの個人的な欲望を民族全体が至上命題として背負わされているという、ややもすればファシスト的な集団妄想に取りつかれたミュウと、出産管理というこちらも異常な集団妄想に取りつかれた人類との戦争、というまるで東方計画に取りつかれたヒットラー大祖国戦争の為には人民はいくら犠牲になっても良いというスターリンとの独ソ戦のような構図になりかねない危険性をはらんでいるとも言えよう。

であるから、結局は「ミュウがテラにどうしても行かなければならない、行かなければミュウが死滅する。そして宇宙も爆発する」というぐらい切羽詰った設定がほしかったわけである。繰り返し繰り返し言うが、管理人は原作を1ページも読んだことが無いので、原作では管理人が持つ上記のような不平不満を見事に解決してしまっている設定があるのかもしれないが、それならそれでテレビアニメ版にはそのように生かすべきであろうし、無かったのなら、テレビアニメ版にする段階でそのような原作脚本部分の修正が必要ではなかったのであろうか。まぁ、何はともあれ、かの風の谷のナウシカにも影響を与えた「地球へ…」のアニメ化ということ自体が、2007年に於いて行われたということそのものが極めて評価に値することではないかと管理人は感じるのである。

って、2007年の総括アニメ両方とも竹Pですな。あ、僕やっぱ竹P好きっス。




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