ヴィンランド・サガのアニメ化を望む

 言うまでも無く幸村誠氏は天才であると管理人は思っている。それも、数十年に一度出るか出ないかの天才であろうと思う。プラネテスでデビューした時、氏は24歳だったそうだがもうその時点で常人ではない。プラネテスを全巻読んだ読者諸兄なら分かろうが、あの内容を20代そこそこで書き上げるのは才能云々というか何か神懸り的な神秘性を感じずにはいられないのである。そんな幸村誠氏が現在アフタヌーン連載中の漫画「ヴィンランド・サガ」を知らないという読者諸兄はまさかいないと思うが、一応端的に紹介すると11世紀初頭が舞台のヴァイキング伝ということに成るが畏れ多くも幸村先生の漫画を端的に紹介することなど出来様も無いので全く知らないという諸兄は特設ページをご覧に成り、その足でTSUTAYAに行って最新刊6巻まで全部を買い求めていただきたい。

 兎に角、この時期の中世欧州が「殺し殺され」の混沌とした世界であったという「匂い」が全編から漂ってくるような作品である。歴史的な事象を扱った作品(アニメを問わず)というのは古今沢山あるが、例えば江戸時代を描こうとした場合、管理人が昔通っていた映画の専門学校で、教官が「時代劇というのは全部嘘。夜のシーンがあんなに明るい訳が無い。本当にリアルにやると、超高感度カメラを使わないと撮影できなくなる」と言っていたが、事実そのとおりで江戸時代に当然の事だが電燈が無く、せいぜい鯨油を使った燈台でそれですら光源に20-30センチまでに近寄ってようやく書物が読めるか読めないか位の程度である。勿論鯨油は高級品であるから庶民の光源は月光であろう。そういう歴史考証のでティールを、細かくやればやるほど作品化は困難になっていくから当然どこかで折り合いをつけなければ成らなくなる。私事で恐縮だが、管理人が大学のときの江戸期専門の教授は、「最も近代以前を忠実に再現した映像化作品は黒澤明七人の侍であろう」と言ったが、なるほどその理由は庶民が殆ど裸同然であるから、と言うのだがそれをとことん追求すると当然だが作品化は困難になるわけであり、かといってそれを蔑ろにすると最早歴史ものとは言えないのである。

 そういった微妙な歴史考証の折り合い付けを、ヴィンランド・サガは見事にクリアーしている。当たり前の事だがヴァイキングは日本語を話さないし、箸を使って飯を食ったりはしない。思想から生活習慣まで、我々が知らない、何か「ヴァイキング的ニュアンス」の様なモノの中で当時の彼らは生きている訳であるが、そういったニュアンス、感覚的に言うなら「生活の匂い」的なものが、絶妙に作品の中に散りばめられており、そしてそれは現代人でも理解が出来る範囲と折り合いがつけられた形で描写されているのが、ヴィンランド・サガの素晴らしさである。

 幸村氏が裏表紙のあとがきで、「ヴァイキングがトイレの時ケツを拭いたのか否か、文献を調べても書かれていないが、これこそ彼らを知る上で重要なデティールである」と仰られていたが、この言葉が幸村氏の作家性を如実に表現しているといえよう。

 プラネテスがそうであったようにヴィンランド・サガもゆくゆくは是非ともアニメ化をして頂きたいものであるが、まだ完結していない現在、ただ新刊の刊行を一日千秋の思いで待つのみである。



☆アニオタ保守本流ブログランキング参戦中*バナーをクリック!↓↓

banner_02.gif





●貴方にぜひともやって欲しいオタク度診断●
日本一硬派なアニメオタク診断
http://kantei.am/55866/
*60点以上で合格!