”非実在青少年”騒動にみるこの国の怪〜都条例条件賛成の立場より〜

 さて、件の「東京都青少年健全育成条例改正案」所謂「非実在青少年」の騒動(?)であるが、都議会で継続審議する(事実上の廃案か?)との事で一段落付いているようである(尤もまた再燃するであろう)ので、ここでアニオタ保守本流として是非とも記事にしておきたい。この問題に関する私の改正案に対する「賛成」若しくは「反対」の基本アティチュードについては先送りにして、まずこの問題について賛成・反対と声高に叫ぶ両陣営それぞれについて、私は猛烈な違和感を感じずには居られないので冒頭その違和感について記したいと思う。

 1.「東京都青少年健全育成条例改正案」(以下”都条例”)の賛成派に感じる違和感

 賛成派(私の知る限り)⇒石原都知事,都議会自民党,都議会公明党,都内小学校PTA等及び都議会民主党の一部…であるが、そもそもこの争点である非実在青少年云々の規制対象が”18歳未満に「見える」”青少年の性的描写という部分の、18歳未満という基準がそも不明瞭である。この法案は、この手の事情に疎い私でさえ、政権交代により『児童ポルノ規制法』の成立を逸した自民・公明の両党が、ならば都議会でと意趣返しを図ったとみるのが妥当であろうが、それならば何故はっきりと「児童ポルノの規制」と都議会条例の改正に際して謳わなかったのであろうか?この「18歳未満に見える」という基準の曖昧さが、後にネットを巻き込んだ猛反対の最大の原因に成っていることは言うまでもない。

 即ちまとめると、政権交代で見送りとなった『児童ポルノ規制法』の意趣返しが都条例であるならば、何故都議会自民党公明党は都条例改正案を「児童ポルノ規制」とせず、「非実在青少年」というわざわざ誤解を招くような文言を盛り込んだのか?ここには恐らく,石原知事曰く「(規制対象物)をあまり良く観たことが無い」という発言に象徴されるように、都議会自民党・都議会公明党団のアニメ・漫画リテラシーの低さを顕著に物語っていると言えるのではないだろうか。要するに「児童ポルノを規制したい」が先行して、アニメ・漫画をよく知らない彼らが「ならば18歳未満一律規制ではどうか」という空疎空論をそのまま文言にしたであろうことは容易に想像出来るのである。

 2.都条例の反対派に感じる違和感


@東京都青少年健全育成条例改正案に漫画家らが抗議

 漫画家のちばてつや氏や永井豪氏など漫画界の大御所らが揃って都条例に反対の姿勢を明確にしたが、私はこの騒動(?)をみて反対派には大別して2派が存在すると感じた。そのひとつは、上記動画にあるような漫画家或いは出版業界、文化人・知識人らであるが、即ち”国家権力が表現規制を行う、表現分野に介入することへの大前提的拒否感”がある人々である。無論、都条例の文言を普通に読めば「18歳未満に見える」非実在青少年は規制対象であると取れるので、やれドラえもんのしずかちゃんの入浴シーンはアウトだ、大変なことだ、これは大変な弾圧だ、と危惧しても致し方ないであろう。当たり前だがドラえもん児童ポルノではないが、児童ポルノやエロ漫画ではない、所謂一般向けの漫画やアニメが恣意的に規制される危険性を孕んでいる以上は、彼らが反対の声をあげるのは道理である。但し、私が知る限り彼らは一部を除いて、「児童ポルノ」そのもの、つまりは年齢規制が12歳とか13歳未満及び表現規制の基準が児ポ法を基本として明確厳格に修正されたなら都条例にはOKなのか?という問いについては旗色不鮮明であると思われる。とにかく、この非実在青少年がエロでない一般の表現に波及し、表現者が萎縮することを危惧している(ひいては日本の漫画・アニメ界の衰亡をも孕む)派である。

 もうひとつは、そもそも都条例の意趣返しであるところの『児ポ法』そのものについて反対であり、どんな苛烈な性描写であっても無条件に許容すべきでいかなる規制をも国家が介入してはならないと言う究極のリベラリスト(これについては後述)の派である。彼らは、政権交代前、自民党時代にも『児ポ法』についてはネット上などで大々的な反対キャンペーンを取り上げ、賛成派の議員リストなどを作って盛んに「児ポ法」の危険を喧伝していた者も多く含まれると思う。繰り返すが、彼らはいかなる表現も許容され、いかなる規制についても反対の姿勢を取り続ける派である。

 

 という点で違和感を持った。この手の事情に疎い私が(そもアニオタ保守本流は良質アニメの批評ブログであるからだが…)、第一印象としてもった感触(それは今でも変わらない)は、都条例「賛成」・「反対」の両陣営が自分の住んでいる島宇宙から一歩も出ること無く、それぞれがそれぞれに好き勝手なことをまくし立てているだけの、その島宇宙の外にいる私のような人間に関しては両陣営が如何様に声を張り上げようと上記の違和感がそれを象徴しているように、彼らの声は両方とも全く届かないのである。

 
 さて、このような中で件の都条例は性急な成立を良しとせず、継続審議となったようであるが、ここで漸く私のアティチュードを鮮明にしたいと思う。と、その前に私の主張の前提を整理したい。先日(2010年03月18日)TBSラジオの「荒川強啓デイキャッチ」中で、タモリ倶楽部等でお馴染みの山田五郎氏が出演され、都条例に対して明確に反対の立場を示されたが、その論拠が私の主張の前提であるので引用・抜粋させていただきたい。

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山田五郎氏(都条例に断固反対)の意見要約

@そも漫画・アニメなどと言う芸術を「良い芸術」・「悪い芸術」に分離し、「悪い芸術」(=性描写のある漫画・アニメ)だけを排除し、「良い芸術」だけを残そうとするのはナンセンスである。

@「良い芸術」・「悪い芸術」を分離したのはナチスドイツである。ナチは、「退廃芸術」と「健全芸術」に分類した作家(絵画等)の展覧会(頽廃芸術展)を開いて、退廃芸術が如何にダメかを国民にアピールした。が、現在世界で評価され、美術的芸術的に名声を得て居る作家の殆ど全てがナチにより「退廃芸術」に出展された作家ばかりである。

文化庁メディア芸術祭で受賞歴があるような漫画家・アニメーターが過去にコミケエヴァンゲリオンのエロパロ同人誌を書いて売っていた。このことからも、作家には二面性があり、性描写があるからと二面性の一方だけを切り捨てることは不可能である。

2010年03月18日
続・緊急提言!ポルノがなくなれば、芸術もなくなる!!
デイキャッチャーズ・ボイス 山田五郎
http://www.tbs.co.jp/radio/dc/thu/index-j.htm

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 との事であるが、いよいよ私のアティチュードを記すが、私は山田五郎氏曰く、善悪二分論で芸術を分類することは不可能でありまた愚行であることは全面的に同意する。しかしながら、同時に山田氏の文脈に拭いきれ無い違和感を感じたのも事実である。私は一寸逡巡して、その違和感を言語化することに成功した。つまりは、そもそもポルノは芸術なのか?という事に尽きる。ポルノと言っても、芸術的アート的ヌードと言うものではなく、例えば「児ポ法」がその規制対象にしているように、また過去問題になった「レイプレイ」の様な異常な性暴力ゲームがそうであるように、小学校の女性徒が強姦され、尚且つ被害者がそれを喜んでいるなどと言った常軌を逸したポルノ漫画・ゲーム・アニメの類を、宮崎駿押井守といった偉大なるアニメーターの作品と同列に「芸術」と言い切ってしまうことへの強烈な違和感である。

 申し訳ないが、私には「児ポ法」が規定する「レイプレイ」等のゲーム等が到底「芸術」に類するとは思えないし、それは未来永劫同じであると思う。間違っても後世大英博物館に「レイプレイ」が展示されたり、ランドセルを背負った女子小学生と性交するような同人誌が民俗学の教科書に採用されるとは思えない。それらは「ポルノ」であり決して「芸術」ではない。芸術でない以上、山田氏の言う「芸術善悪二元論」に該当することも無い。それらはそもそも「芸術」では無いのだから、規制されても芸術への波及は無い、というのが私個人の見解である。

 そしてまた、児童ポルノアニメやゲーム、漫画は我が国のアニメ文化・マンガ文化の豊穣には全く寄与していないし、これからもしないことも付け加えておこう。山田五郎氏の挙げた前述の文化庁メディア芸術祭受賞作家のエヴァエロパロ同人誌であるが、それを拝見したことはないが元ネタがあるエロパロ同人誌に過ぎず、そもそもシンジ君やアスカや綾波レイは小学生ではない。私は文化庁メディア芸術祭で評される(文化庁メディア芸術祭は我が国に於ける優良アニメ・マンガの最も的確なバロメーターであると思っている)様な我が国を代表するアニメーターや漫画家が、過去児童ポルノに携わっていた例を一度も知らない。当たり前のように繰り返すが、児童ポルノは純然たる「ポルノ」であって「芸術」ではないからだ。

 よって、私は「児童ポルノ規制法」の熱烈なる推進者である。それが故に、何故都条例が「18歳未満に見える」=”非実在青少年”等と言う誤解を招く表現にしたのか不満である。何故素直に児童ポルノの規制を言わないのであろうか。私は権力の恣意的な選別によって必然のある性描写(例えば王立宇宙軍のシロツグ=ラーダットとリイクニ=ノンデライコ)のあのシーンが規制されるのは断固として反対である。しかも、今日日「18歳未満」というのは時流にあっていない。江戸時代の青少年は12歳くらいでロストバージンだろう。はっきりと対象を「小学生以下」等にして、都条例の規制対象が明確に修正されるという条件で私は都条例に賛成する。

 更に付け加えるならば、私は上記で分類した規制反対派の2類「あらゆる表現規制に反対する究極のリベラリスト」について物申したいが、世の中には絶対にしてはならない表現というのが存在する。例えば、現在のドイツではナチス式の敬礼やハーケンクロイツを公の場で実行・掲揚すると罰せられるという法がある(他の欧州諸国にもある)。これは一見して表現の規制であるが、実は個人の部屋(プライベート空間)でやるのは自由である。家から一歩出たら、やっては駄目ですよと言う限定的規制である。私は、繰り返すが小学生女子を強姦するようなゲームや同人誌が堂々と公売されている今の現状は異常であると思う。小学生女子(男子でも良いが)を強姦すると言う行為は例え二次元上であっても、前述のナチス式敬礼とハーケンクロイツの禁止のように、私は公の空間で絶対に表明してはならない妄想であると思う。なぜなら、当たり前だが小学生女子を強姦(同意であっても)するのは全世界どの国に行っても絶対悪であり犯罪であるからに他ならない。この様な妄想を羅列した書籍・アニメ媒体がゾーニングとは名ばかりのコミケやアキバの店舗で売られているのは先進国に於いて日本のみであり、これを異常といわずして何というのであろうか。

 小学生女子を犯すという妄想は、公の場では絶対表明してはならない。そのような妄想は山田氏の言う芸術善悪二元論以上に凶悪で異常な妄想である。しかし前述の現代ドイツの事例の通り、自宅でやるなら何の問題もない。あなたの自宅でどのような妄想に耽ろうとも国家は感知しないのは自明である。だから、そのような犯罪的妄想は決して胸を張って堂々と表明出来るものではなく、例えば小児性愛の性癖と言うものは全くアングラ趣味であることを自覚すべきではないだろうか。自分の異常な性癖を堂々と主張し、それが表現の自由だなどとは笑止である。その異常な性癖(そも犯罪行為の妄想である)、本来秘匿されるべき歪んだ性癖を、堂々と正統だ、表現の自由だ等と主張して憚らない、恥ずかしさと言うものを微塵も感じないその感覚こそが私はナチ的な異常性を秘めていると思う。無論否定はしないが、それは断じて自分の家のみで行われるべき妄想であって、繰り返すが公に表明してはなら無い。社会的に絶対に駄目な表現は存在し、日本以外の各国は国によってそれに規制を加えている。ホロコースト否定表現への規制などが好例だが、それを言うなら例えば私個人としては広島・長崎原爆を全肯定し、被爆者を嘲笑するような表現があるとしたら公の場ではそれは規制されるべきであると思っている。それは繰り返すが個人の脳内まで土足で踏み込むものではなく、また表現の自由を犯すものでもない。

 よって現状では「児ポ法」と似つかない現行の条例は反対。はっきりと「小学生」などと定義した「児ポ法」に準ずる修正案なら賛成であると言うのが私の基本姿勢である。


 最後に、この問題に関するもうひとつの大きな違和感について記したい。この問題にインターネット世論(?)の殆ど全てが反対反対の大合唱を挙げている。twitterMIXI等を眺めても反対98:賛成2という具合で圧倒的に、まるで朝鮮労働党マスゲームの如く見事に統率されている。しかし、私の偏見かもしれないが、「児ポ法」の時もそうだったが、この問題に反対の立場の多くが、普段「ネット右翼」等に分類され、竹島日本海呼称問題・韓国一般(嫌韓反韓)、及び外国人参政権絶対反対の声を高らかにあげているように思う。しかし、この問題についてのみ、彼らは「いかなる公権力によるいかなる表現の自由への介入をも許さない」という前述の通りの究極のリベラリストに変貌するのは、正しくこの国の怪である。

 私は、政治的には保守的な要素を含む人間であるが、例えば「王立宇宙軍」や「AKIRA」「攻殻機動隊」「機動戦士ガンダム」「千と千尋の神隠し」等を観て如何に日本は素晴らしいアニメの国かと思いやってきた外国人が、アキバに入るなり筆舌に尽くし難い児童ポルノの洪水を目の当たりにするこの現状が愛国的であるとは決して思わない。この論はまた後日暇を見てやることにしたいが、日本のポルノやその延長線上になると私が解釈している萌えアニメ(漫画含む)は、日本のドメスティックな市場だけで消費される内向的産物の結晶であり、一部の愛好家やポルノサイト(HENTAIの分類)を覗き芸術的・作品的な評価は皆無に等しいと断言する。

 何故か「児ポ法」と「都条例」の問題に関してのみ、普段からtwitterのアイコンに日章旗を入れたり、「愛国」を殊更に叫んで中韓朝を「特亜」「特亜三馬鹿」などと罵ったり、「対馬が危ない!乗っ取られる!」と言って外国人参政権反対を唱えて議員やマスコミに電話やFAXをするような”活動家”や、あまつさえ日の丸・君が代の斉唱や掲揚に公権力の介在を好とする連中が、この時ばかりは如何なる公権力の介入も許さない「究極のリベラリスト」に変貌するのは誠にもって複雑怪奇であるな(平沼騏一郎風)。

 最後に、賛成派・反対派両者の主張の根拠の一部となって根強い、ポルノ規制と性犯罪の相関について簡潔に記す。結論をいうと全く関係ない、相関がない。ポルノアニメ・マンガを愛好するような人間とスーパーフリーの和田のような実態の性犯罪を犯す連中の社会層は全くダブっていない。住む世界が別。だから規制しようがしまいがポルノが性犯罪を抑制したり助長したりするよ言うのは妄想であることは付け加えたい。これは賛成派・反対派両者に対して言いたい。真鍋昌平作「闇金ウシジマくん」にアニメオタ・エロゲーオタ一般が登場しないのが何よりの証左である(笑

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追記
 この件についてはこの事実も記しておこう。私は2010年3月09日のTBSラジオアクセス(藤井誠二氏回)「都議会で審議される東京都の青少年健全育成条例案でバトル。マンガ、ゲームなど、架空のキャラクターでも18歳未満にみえる人物の性描写は規制対象に。あなたはこの条例案に賛成ですか?反対ですか?★ゲストは、漫画評論家明治大学准教授の藤本由香里さん」に賛成派(条件付き)リスナーとして電話出演したが、その際の主張は下記の通り。

 「日本のみならず世界で評価されている日本のアニメ作家・宮崎駿大友克洋押井守今敏庵野秀明湯浅政明神山健治等、優れたアニメ作家の良質な作品には性描写(この場合の性描写と言うのは児童のセックス描写)は存在しない。よって必然が無い性描写の規制は優れたアニメ作品に影響を与えることはない」

 これに対し、で明治大学准教授の藤本由香里氏は「エヴァンゲリオン劇場版AIR/まごころを君に(1997年公開)」に於けるシンジ君の自慰表現(番組では勿論直接的に発言はしていない)を挙げ反証、更には「ベルセルクにおける未成年者の強姦シーン」及び「ドラえもんに於けるシズカちゃんの入浴シーン」を例に、公権力による恣意的な表現規制の危険性を説いた。しかし、ここで私が述べた性描写は児童ポルノ法に規定される性描写であり、藤本氏の言う性表現とは物語の文脈上必然性があり且つポルノ作品ではない作品の性描写のことであり、そも議論の前提となる性表現(ポルノ)自体の認識が噛みあっていないという問題があった。この問題になると、必ず賛成派と反対派の間の性表現の認識の差が浮き彫りになる。賛成派は明らかに「児童ポルノ描写」と言っているのに対し、反対派はあくまでも「ポルノではない一般アニメ・漫画における必然性のある微エロ描写」である。その両方をして両者とも「性表現・性描写」と一括りに発言するから訳がわからなくなる。そもそも議論の前提認識が異なっているため、両者の溝は埋まらない。ここも奇っ怪である。また、藤本氏の立場では児童ポルノ法(児童ポルノへの規制)自体に賛成なのか反対なのか、この番組では旗色不鮮明であった。(上記の、典型的な反対派の分類1に該当する)

 その上で私は「作品物語の構成上必然性のある性描写(ポルノでない)までもが巻き込み規制を受ける危険性には同意し、それならば都条例には反対である。また、作家やクリエイターには罪がないので、消費者が罰を受けるべきでありクリエイターは救済されなかればならない」旨の発言をし終了した。

 この考えは今を以て変わっていない。要するに児童ポルノ法に賛成であり、必然のある性描写をも規制する恣意性を孕んでいる現行の都条例には反対(前述の通り、修正されれば賛成)である。

TBSラジオバトルトークラジオ・アクセス
http://tbs954.jp/ac/index.html

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*関連ブログ
http://d.hatena.ne.jp/AntiSeptic/20100316/p1
■「そう、芸術とは、そも、おそるべき毒薬であり、麻薬なのです。」←じゃあ、規制だwww

http://d.hatena.ne.jp/Red-Comet/20100317/1268825265
非実在青少年とやらに対する雑感と、ついっ党に関する妄想

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●殺伐としたので、ちょっと癒し動画をご紹介。「君をのせて」「王立宇宙軍オネアミスの翼のテーマ」をジャズ演奏するスウェーデン人。最高!これは素晴らしい演奏である。海を超えて愛される日本のハイクオリティアニメ。普遍的なテーマ性を内包するアニメは、どの国どの時代にも通底する共感を生む。これをBGMに食事したいものだ。エトジュンさんのMIXI日記よりご紹介●

*Platina Jazz - Carrying You & Main Theme from Honneamise, live at jazz club Fasching

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追記(10.04.20)

バカオタ保守本流〜消毒しましょ〜
http://d.hatena.ne.jp/AntiSeptic/20100327/p4

 私の名誉のために言っておくが本記事の『旗色不鮮明』が字句の誤用である事を殊更に糾弾し、それをして当方を名指しでバカという(でもそういう毒舌が人気で売りらしいのでそれはそれで微笑ましいが)人がいるが、この『旗色不鮮明』という単語は私が最も尊敬する作家の一人である筒井康隆先生の同名小説からの引用であり、造語であることぐらい当たり前だがわかっている。

 ただ私が余りにも筒井先生リスペクトなので注釈をつけずに普通に使用してしまったが、思うにこの人とちょっとググればこれが小説からの引用でありオマージュ表現であることがわかろうはずだが、一瞬だけ目で見てこれを誤用と断定してしまうこの消毒さんというブロガーの文学的リテラシーの低さが気に掛かかった。きっと氏も普段は毒舌など吐かない、あった事もない人の事を馬鹿なだと言わない、マジメで善良な市民なのであろう。ネット人格というのは正しく消毒さんのことを言うのであろう。しかし繰り返すが、氏のブログはそれが売りで人気とのことで、実に結構である。

バルタザールどこへ行った - 基本知識が欠如したどうしようもない自称アニメオタク
http://d.hatena.ne.jp/heroin_25/20100409#p1

>彼が絶賛している「素晴らしいアニメ」を産んだ庵野秀明や北久保弘之などのクリエイター達が、彼が言うところの「児童ポルノアニメ」に他ならない「くりぃむレモン」の各作品に参加していたことは、アニメオタクであれば知っていて当然の話。

 規制反対派は私の論に対して絶対これをいう。「くりぃむレモン」「くりぃむレモン」と。彼らのお題目である。殆ど新しい宗教の念仏である。「くりぃむレモン」教団と名付けるべきであろう。まさにこれは一部の例外だけを切り取って糾弾する論法。筑紫哲也を糾弾したどこかの怖い関西の人権団体や、筒井康隆無人警察を糺弾した障害者団体の論法に似ている。そもそも「くりぃむレモン」など無くても庵野秀明庵野秀明足りえたが、「不思議の海のナディア」なくして庵野秀明庵野秀明足り得ないであろう。一部の特殊例外を誇張して糾弾する、恐ろしい人たちがネットにはいるのだなぁ。

 そして、自分だけはまったくのPNで勝手に当方のブログを糾弾する人々も多いのだなぁ。当ブログはたとえ自分に都合が悪いトラックバックやコメントであっても必ず許可・公開するし、当日か遅くとも10日前後で全てのコメントにレスを付けている。非実在青少年云々いう前に、この開かれたブログ・アニオタ保守本流の寛容な姿勢こそ見習って欲しいものである。君たちのその陰湿で卑怯な『ガラパゴス性』そのものが、世間一般からアニオタの評価を著しく落とす要因に成っているのではないか。世間一般からアニオタ=萌え,ポルノ,エロゲー,キモオタなどというレッテルを貼られる原因に成っているのではないか。非実在青少年云々言うなら、本気で反対するなら自分の顔くらい出して正々堂々と反対して欲しいものである。

以上、この話題は次に何か大きな動静があるまではここで終わり。


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