遂に完結!たぶん日本一早い東のエデン劇場版2評〜テアトル新宿舞台挨拶レポ&考えうる最良のラスト〜滝沢朗=「国民クイズ」K井K一論!


 さあ、遂に神山健治監督の『東のエデン』が完結を迎えるわけである。途中、劇場版2は公開を延期されると言うファンにとっては喜んで良いのか悲しんで良いのかの事態を迎えつつ、漸く漸くこの傑作アニメの完結するその瞬間を己の眼にしかと焼き付けんと、管理人は2010年3月13日、テアトル新宿の前に居た。

 この「東のエデン」という作品について、私はそのクオリティの高さより予てから並々ならぬ熱意を注いで居り、不肖アニオタ保守本流主催のネットラジオ「ニコニコアニメ夜話第13回放送東のエデン」「ニコニコアニメ夜話第13回放送『東のエデン』」を筆頭に、「立見続出!満員御礼!日本一早い『東のエデン劇場版I The King of Eden』評」09.11.29「高まる期待〜東のエデン 劇場版総集編air communication〜」09.11.03「『東のエデン』TVシリーズ総括」09.06.22等の不肖ワタクシメの過去記事でもその熱意の一端でも伝わると思うので是非ともご参照されたい。

 さて、まずは3月13日(土曜日)午前の上映終了後に行われた東京・テアトル新宿での舞台挨拶の模様を簡潔に紙上レポートさせていただく。


・本編上映終了後、テアトル新宿での舞台挨拶。壇上には写真右から神山健治監督,板津豊役の檜山修之氏、大杉智役の江口拓也氏、滝沢朗役の木村良平氏、森美咲役の早見沙織氏、葛原みくる(みっちょん)役の齋藤彩夏氏、おネエ役の斉藤貴美子氏、平澤一臣役の川原元幸氏、春日晴男役の田谷隼氏、の正に「東のエデン」オールスター勢ぞろいで、会場からは割れんばかりの拍手喝采で迎えられた。

 この他に、舞台右手の廊下側にはプロダクション・アイジーの制作スタッフも並ぶと言う豪華さである。神山監督、この場に出て大変緊張していると語っておられたが、そんなものは微塵も感じさせない堂々の語り。そしてそれぞれの声優諸氏から一セリフづつキャラ声が披露され、完結を迎えた感慨を述べた。会場からはその都度大喝采。司会からまとめコメントをアドリブで求められたおネエ役の斉藤貴美子氏、眼に光るものがあった。再度大喝采。現場の雰囲気が如何に良いかが観客にも伝わってくるような素晴らしい舞台挨拶であった。ちなみに、一番左が司会進行役のニッポン放送アナウンサー吉田尚記氏で、MC中に「皆さんこれ以上のラストは考えられないですよね!?」と仰ていたのに大変に同感。これについては後述するが、アナ界屈指のアニオタとして名高い吉田尚記氏の審美眼は、この一言からも相当なものであると感じた。


・(左)人人人で埋まるテアトル新宿チケット売り場。舞台挨拶目当てのファンは相当のコア層が多いせいか、「ビレバン好きです」系の人は少なめ。(恐らくこれから増えるのであろう)
・(右)テアトル恒例の神山監督直筆のメッセージボード。


テアトル新宿初日の昼までの回は午前中で全て売り切れ。買えないものは、夕方以降の回を待つより方法が無かった。


 さて、本編の話題に移ろうと思う。本作は広く国民一般に認知され、且つまだ未観の読者諸兄も多かろうと思うので、基本ネタバレはしない方針にしているので、観た方もそうでない方も安心してお読み頂いて結構である。


 まず、前述の吉田尚記氏の舞台挨拶でのMC「これ以上、最良のラストは考えられない」、この一言に尽きるであろう。作品としての完成度も、劇場版1を遥かに凌駕していることは本作をご覧になった読者諸兄なら論を待たないであろう。テレビ版からの伏線の回収については、概ね本作に於いて見事に回収されている。尤も、本作を見る限り寧ろ「劇場版1」が不要だったのではないか、と思う内容であり、強引なコジツケ、説明不足の展開も散見されはしているが、テレビ版からの展開であそこまで伏線を広げてしまった以上、本作での伏線の回収は考えられ得る限り最も成功していると言わなければならない。

 私は、不肖自身のネットラジオ「ニコニコアニメ夜話第13回放送東のエデン」「ニコニコアニメ夜話第13回放送『東のエデン』」でも述べたとおり、本作のテーマは昭和最後の7日間(1989.1.1〜1.7)に生まれた滝沢朗と森美咲という二人の主人公が、昭和的なこの国のシステムを破壊する事こそが主旨であると述べた。何故この二人が平成生まれだと駄目なのか。それは平成生まれの新世代が昭和の負の遺産を打破すると言う物語の構図にすると、次世代への希望的信託と言う、逆説的に言えば「現世代の責任の放棄」という意味合いにも取れるからである。だからこそ、滝沢朗と森美咲は「昭和生まれでなければならない」ことの必然になるのである。当たり前のことだが、神山健治監督も昭和生まれなので、本作を構成する監督自身をして、自らがこの国を脱構築する主役になることを決して諦めないのだ、という製作者からの宣言でもあるのである。

 その際、私はラジオの中で、「この国の昭和的システムの脱構築を昭和の世代で行うという行為そのもの」こそがテーマであるならば、「100億円をやるからこの国を救え」というミスター・アウトサイドが考案したこのセレソンゲームこそが、それこそが実は昭和的体制そのものではないだろうかと喋った。年老いた老人などに上から目線で言われなくとも、我々は自らの手でそのシステムを破壊することが出来る。昭和的システムの脱構築は、誰に言われるまでも無く昭和の世代が自らをして行うのである、という宣言に即せば、滝沢朗が打破すべきものは、日本国の社会体制などではなく、実はこのセレソンゲームそのものであり、そして倒すべきはミスター・アウトサイドそのものに他ならないのである。滝沢朗がテレビシリーズから、「ミスター・アウトサイドって奴をぶん殴ってやりたいよ」と言っているのは正にこのテーマ性の中にある必然的セリフである。

 今回、本作では倒すべき真実の相手「ミスター・アウトサイド」に対する、「ミスター・アウトサイドって奴をぶん殴ってやりたいよ」的ニュアンスの伏線も神山監督らしい手法できちんと収斂されていたことは「東のエデン」という作品の完結に際して、これ以上はないと思われるラストであったことをここに記したい。また、私は本作の劇場版を通じて、この滝沢朗という青年がある漫画の主人公に酷似していることを強く感じた。それは、一部でカルト的な人気を保つ世紀の奇作・加藤伸吉(画)/杉元伶一(作)国民クイズ」の、K井K一との類似性を強く感じさせたのである。この「国民クイズ」と言う漫画については、最下段のアマゾンリンクから参照していただく(笑)として、簡潔にK井K一について述べると、国民の欲望の象徴として存在しているK井K一は、最終的に自らをして体制の打破に向かうのであるが、しかしながら結局は衆愚と化した国民はK井K一の掲げた体制打破に賛同せず、ヒール役として放逐される、という悲劇(?)の主人公こそK井K一なのである。本作の滝沢朗が、良かれと思ってやったこと全てがニートたち(衆愚)から途轍もない怨嗟を買い、そして結局テロリストと言う名のヒール役に仕立て上げられて行く所など、正しく「国民クイズ」の主人公K井K一を彷彿とさせる。

 ただし、本作が「国民クイズ」と決定的に異なる点は、「国民クイズ」が徹底して大衆を衆愚として描いたのに対し、本作「東のエデン」は、それでもなおこの国の国民に希望を見出している点にあるだろう。セレソン物部氏(官僚)の目指す方向性が、本作では明確に新自由主義的なものであると判明する。勿論、理屈としては正論であろう。しかし、やはり本作は最終的にはそれを否定していることは明白である。前述のテーマに戻るが、「この国の昭和的システムの脱構築を昭和の世代で行うという行為」について、一縷の希望を本作のラストで見出している。国民は確かに愚かしいが、しかしそれでも我々は滝沢朗と言う「王」を冠する必要も無く、ただ日常の中に生きる自らの力で少しずつ社会を変革して行くことが可能であるに違いない。正しく宮台真司先生曰く「我々は終りなき日常を生きるより無い」のである。

 神山監督は今の我が国の、老人(団塊の世代以上)ばかりが既得権を持ち、かつそれを後進に譲ろうとせず、社会体制の新陳代謝が行われないままゆっくりと衰亡して行くこの国の現状と将来に、強烈な不信感と不安を抱いていらっしゃるのだろう。こと劇場版ではそれが強調されているのが分かる。しかし、本来そのような守旧派の既得権者を打ち破るべき若い世代に、ニートなどと言う虚無ばかりが増えていることについても同時に強烈な違和感を抱えているのであろう。よって平成生まれの世代にも無条件に希望を持てない。だからこそ、昭和の世代(この社会を生きる現世代と言い換えて良い)こそが、脱構築の主役になるべきだと本作では語っている。我々には、本当は「王」など必要ない。何故なら、終りなき日常の中にこそ、明日へ向かっていく希望が同居しているからに他ならないからだ。


 如何だったであろうか。最後に、今や我が国を代表するアニメ監督である神山健治監督の次回作を心待ちにすると共に、制作スタッフ・声優陣及び関係者の皆々様にいちファンとして素晴らしいアニメをリアルタイムで観させて頂いた感謝の気持ちを記し、末尾と致したい。


国民クイズ加藤伸吉(画)/杉元伶一(作)
 




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