子供を馬鹿にするガンダムAGEを糾弾する

 何がビビったかというと、今日偶然テレビをつけていたら目に飛び込んできた「ガンダムAGE」の余りにもな酷さである。今日が第2話だということであるが、数分が経過するまで私はこれを「ビーダマンか何かの亜種の新番組」だと思い込んでいた。これが漸くガンダムである事がわかったのは、劇中主人公の「ガンダム云々」のセリフを聴いて初めてである。

 まずは作品を見るのをお勧めしたい。見れば分かるように、主人公のキャラデザがポケモン風の安〜い感じのタッチ、良く言えばNHKの「無人惑星サヴァイヴ」みたいな、如何にも”量産向き”の陳腐感(サヴァイブがダメと言っているわけではない)。ここまでは兎も角、肝心のメカデザはビーダマンの如きまたも安〜い感じのノリ(ビーダマンがダメと言っているわけではない)。では筋は、となると驚きのあまり胃液が逆流しそうになったのだが、敵は人間ですら無くアンノウン・エネミーなるモビルスーツ型の宇宙人なんだか宇宙生命体なんだかわからない謎の連中。

 ここで既視感。西崎義展の(敢えて松本零士とは言わない)宇宙戦艦ヤマトのリメイク(?)映画「SPACE BATTLESHIP ヤマト」(以下SBヤマト)を思い出したのだ。SBヤマトは、肝心のデスラーが人間ではなく良く分からない宇宙生命体という改悪設定で、原作ヤマトが持つ第二次大戦のオマージュや、戦争の悲惨さ、愚かさという崇高な文明批評の精神を根底から無視する原作レイプリメイク作品だったことは論を俟たない。

 申し訳ないけどガンダムAGEからは「SPACE BATTLESHIP ヤマト」と同じ匂いがする。AGEのWIKIを引いてみたら、こう書いていた。

(製作者によると)”視聴者対象としては、従来のガンダムシリーズ作品を観ていない子供や、近年のシリーズ作品から遠ざかっていたような父親など、幅広い年齢層が想定されており、脚本では専門用語を乱用するような台詞回しが避けられている。一方、絵柄としては子供向けアニメ風のデザインを用いつつも、戦う少年の悩みや苦しみといった重くシリアスな要素も導入することで、「従来のファンを落胆させるような作品にはしない」という方向性も志向されているwikipedia ガンダムAGEより引用

 このような見え透いた嘘は大概にしていただきたい。「従来のファンを落胆させるような作品にはしない」とわざわざ謳っている事こそ、製作者の中にある確信犯的やましさを浮き彫りにしている証左である。どうせ子供向けだからこの程度でいいだろう、と思っているのだろう。だが、子供向けだからこそ手を抜いてはいけない。子供向けだからこそ高度にしなければならないことが分からないのだろうか。我々が子供の頃に見た宮崎アニメや、或いはファースト・ガンダムは決して平易な内容ではなかった。よく「となりのトトロ」を子供さんが楽しんでみている。彼らは、そこに静かな反戦意識や、戦争から立ち上がった日本民衆の逞しさの描写を読み解くことは不可能だろう、だがそれで良い。大人になって見返してからこそ、そこに製作者の秘めたる意図と遠大なテーマを読み取ることができる。ラピュタも、ナウシカも、よくロードショーで子供が見るけれども、その作品的テーマを読み解けるようになるのは大人になってからだ。ガンダムファーストだってそうだろう、本放送は子供を意識した夕方で結局振るわず大人がハマるわけだが、最初っから子供向けでレベルを落とした作品であればそれらが後世に残る名作になる筈が無い。

 いみじくも”ガンダム”の名を冠しているのなら、視聴者を馬鹿するような作品は決して作ってはいけない。ガンダムファーストが、第二次大戦のオマージュであり、戦争の中でしか覚醒し得ないニュータイプの特性と、人の革新という矛盾、そしてその能力を最後の最後で戦争ではなく人命救助に使うアムロ。これほど文明や人間を批評した作品は無い。それがガンダムである。これを最初からロボットプラモ売りたし子供向けの作品として企画し、どうせ子供は難しいことは分からないだろうからとジオン公国を分けのわからない宇宙人にし、ミノフスキー粒子とか酸素欠乏症を「でんぱ」「びょうき」とかに言い換えていたらガンダムワールドなどこの世に存在しなかった。

 ガンダムAGEが子供向けを志向するのは宜しい。しかし「ガンダム」という名を冠した子供向け作品だからこそ、その内容は最新の注意を払って高度なものにしなければならない。子供は、確かに馬鹿だしその理解力は低い。ところが、言葉では表現しないが敏感にモノの優劣を感じるセンサーを彼らは備えている。我々が子供だった頃、訳も分からずガンプラにハマり、歌詞の意味は分からないけど洋楽を聞いたのは、「洗練されたもの」を感じ取るセンサーを生来備えていたからに他ならないだろう。

 人と戦うことさえ辞めたガンダムAGEは、まるでゆとり教育の理想を具現化したようなアニメで吐き気がする。だがよく覚えておくと良い、ゆとりというのは馬鹿な事を指すのではなく余裕である。どうせ子供だからと高度な知的刺激を提供する義務を放棄し、ひたすら馬鹿を与え続けるその姿勢こそが視聴者に対する最大の侮蔑であることに気づくべきではないか。第三話は「ゆがむコロニー」 だそうだが、本当に歪んでいるのは製作者の心ではないか。






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