政治を語ることの愚かさ


 上龍先生の『逃げる中高年、欲望のない若者たち』(KKベストセラーズ)を積読していたので、電車の中で読んだ。この中で、龍先生が「俺は23歳の時に”限りなく透明に近いブルー”(彼のデヴュー作)を書いた。お前はその年で何をしている」と同じ23歳の編集者に問いかけるシーンがある。その編集者はヘラヘラ笑うばかりで、そのことについて村上龍先生が「23歳は若くないし、そのもう若くない人間が何者でもないことに対する不安や焦りがない事への違和感」という様なニュアンスを述べていて至極同感であった。


 私はそろそろ29歳になるし、龍先生のような文筆の才もないから作家でもないのでその23歳の編集者とやらを決して笑うことはできない。ただこんな事を思い出した。私は大学生の時に「立命ペンクラブ」というサークルに入っていた。読んで字の如く、文芸同人でありその文芸同人は何をするのかというと当然のことながら小説を書くのである。当時の私は作家志望で、入部の際に確か原稿用紙換算で70枚とか80枚の中編小説をワードに書いてコピーしたものを持ち込んだ記憶があった。

 当然のこと、ペンクラブの連中というのは何かしらの文筆をやっているアマチュアなのだが、これも当然の事のように「皆いつかは自分が作家になる」と夢想している訳で、つまり「自分こそ才能がある」と思い込んでいる。私もその中の一人であったが、自分に才能がある、と思い込んでいるから妙にプライドが高く、普段大学生がやるような飲食店のバイト等を一等見下して、余り生産性のある事をせず、自らを「高等遊民」と自称するような愛すべき連中であった。

 ペンクラブの活動は何かといえば、月に1回の品評会(つまり部員が書いた小説を部員同士で読み合って批評する)が定例であったが、それは表向きで普段は部室でダベったり麻雀をしたりサバイバルゲームをしたりしていた。その間、やっぱり自分は才能があると思っている連中ばかりだから、「今自分がやっているのは飽く迄も作家になる前の余興」だということで、何事にも熱心ではなくどこか斜に構えるようなニュアンスが賛美されていた。

 時は小泉内閣が出来たばかりの頃で、まだ郵政民営化の掛け声は遠かったが、「自分には才能があり今は世に出ていないが何れ必ず世に出る大作家」と思っている部員達は一端の批評家、評論家になったつもりでやれ小泉がどうの、中曽根以降の靖国参拝について云々、などと政治談議に花を咲かせていて、私もその中の一人だった。当時はインターネットは既にADSLが浸潤していて、やろうと思えば自分のウェブサイトを作り小説を掲載することも可能だったが、彼らはそれをせず、「いつか大物になる前の余興」という感じで決して自分の意見を公にすること無く、仲間内での批評家ごっこに明け暮れていた。恐らくそこには、自分の才能を不特定多数の第三者に否定されるのが怖い、という恐れもかなりあったと思う。彼らはどこまでも、決してオープンではない場で作品を持ち合っていた。

 当初楽しかった私も、だんだんと部室から足が遠のく様になり、その内に9.11が起こり、ついに自然退部というか幽霊部員になって私と立命ペンクラブの関係は終わった。2002年の春頃の事である。

 私が部室に行かなくなった決定的な理由は、自分には文の才が無いからということを自覚したことの他に、「何者でもない人間が、延々と批評家のごとく政治や社会を語ることの虚無感」を身をもって体現したからに他ならなかった。才は無いかもしれないが、いみじくも表現者を目指しているのであれば、ひとりでも多くの公衆に自分の作品なり価値観を広めようと努力するのが本当である。いきなり雑誌や文学賞でデビューするというのは難しいが、インターネットという格好の媒体を使わずしてなんとするか、表現者の怠慢だ、と憤慨したのが真相だ。誰に見られること無く、仲間内だけで「作家になる前の余興」として喧々諤々することの虚しさに気が付いてしまったのである。私が後年、ブログやネットラジオを始める原始はこのような部分にある。


 とで判ったことだが、同じ大学の1個上に、西尾維新氏が居た。私は文学部、西尾氏は政策科学部という部署だそうだが、この2つの建物の位置関係は実に近似していて、西尾氏がどのくらいキャンパスに出没していたか知らないが、少なくとも私とすれ違ったり1コマくらいは同じ講義をとっていたであろう氏は、決してペンクラブに顔を出すことはなかった(唯一の文芸サークルといって良いのに)。彼は「まだ何者でもない文士気取りの連中」と交歓する暇があるなら、一人作品を書くことを選んだのである。そうして彼は在学中にデビューし大作家となっている。

 即ち私は何を言いたいのかといえば、「早い段階で自分の才能の無さに気が付き、一刻も早く何者かになるよう努力しなければならない」ということである。冒頭の村上龍先生によれば、23歳はもう若くなく、その年で何者かに成っていなければ危機感を感じてもいいそうであるから、その齢を当に超過した私は忸怩たる思いである。

 よく、ネット右翼などと小馬鹿にする人がおり、デモ活動や何やらをやっている人間を嘲笑する向きがあることを聞く。しかし、例えばニコニコ生放送やデモの活動や、その他のあらゆる創作活動をインターネットで公開せんとする無数の人々は、私からすれば何者かにならんと努力する人々であるように思う。youtubeに自作のアニメを載せるのも、利益は発生しないかも知れないが立派なアーティストだと思う。ただ、ネット上で何かをしただけでは何者かになるには相当遠いであろうが、成ろうとしている努力は正当に評価されても良い。居酒屋でくだを巻き、麻雀をやりながら天下国家を語るのは確かにある種の快感であるが、多分本当に才能があって努力している人間はそんなことはしないと思うし、それは何者かになる努力を放棄した怠惰な姿勢に他ならない。西尾維新氏がそうであるように、その時間を使って「外に発信」すべく何かしらの準備を行うのが適当ではないか。

 よって、私は村上龍先生の言う「23歳になっても何者でもない人々」が政治だのを語るのは愚かしいことだと思う。どうせ語るのであれば、それをブログなり放送なりで発すれば良いものを、それもしないで一端の批評家の如き良民を気取る若者は、在りし日のペンクラブ部員と重なる。何者でもないのであれば、直ちに業に就いて末は経営者や事業家・資格者になり、社会的に何者かになってから、堂々と天下国家を語っても遅くはないのではないだろうか、と自戒を込めて言ってみる。

 私がペンクラブを去ってから10年弱が経つが、彼らの中から作家が輩出されたという話はついぞ聞こえて来ない。




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