映画『聯合艦隊司令長官 山本五十六』批評

 さて12月23日公開の、映画『聯合艦隊司令長官 山本五十六』(成島出監督)を見てきたわけだが。2011年度最後を締めくくる大作邦画を早速批評したいと思う。以下は、「ネタバレヲ含ム」のでまだ未観の諸君はご注意されたい。

 第一印象は全体的に良く出来た映画。『男たちのヤマト』の製作スタッフが挑む、とのことだったが、本作はセットは実物大のセットを用いず、ほとんどCGにて再現される。特に連合艦隊の空母群のCGは正確で、赤城の特徴的な側面の煙突他の空母と描き分けられているなど、CGの作りこみに愛を感じた。


赤丸部分に特徴的な、海面部に向けられた赤城の煙突<。本作でも忠実に描き分けられていて好感

 また、当時の新聞記者(玉木宏)がきちんと「大東亜戦争」「支那事変が〜」と呼称したり、当時の国民が「支那との戦争で〜」との台詞など、時代背景には忠実なのも良い。ともすれば、「太平洋戦争」でとか「中国と戦争をして」とか当時の日本人が呼称するドラマや映画もあるのだから、この部分は良い。

さて肝心の作品テーマだが、「対米開戦と三国同盟に最後まで反対していた山本が、真珠湾に至る苦悩」というのは良く描写されていたと思う。ただ、本作を見る前に「山本五十六の映画だから、多分真珠湾、ミッドウェー、ブーゲンビルの順番で纏めるのだろうな」という私の予想は見事にその通りであり、「70年目の真実」と謡っておきながら、

一、真珠湾で反復攻撃をしなかったこと(南雲が機動部隊の損失を恐れて第二次攻撃をしなかった)
二、ミッドウェーで南雲が爆装から雷装に手間取り、また作戦もミッドウェーの占領か空母撃滅かの間で戦略が不鮮明であった。ただし知将・山口多聞のみ反撃に成功のち自死
三、山本のブーゲンビル視察は当初から現地で危険との反対が多かったがそれを強行した

 など、戦史に多少詳しいものであるならば「常識」的な事ばかりで、些か「そんなの知ってるよ…」ということばかりであり、「太平洋戦争70年目の真実」という副題よりも、「太平洋戦争中盤までのおさらい」の感はあった。ただそれは私の感想であって、こういった初期の日本海軍の活躍を知らぬものは新鮮な感慨を得るのではないかと思う。

 重要なことは、これまでの「反戦・平和」を前提としたステレオタイプの左傾的戦争邦画は、「東京大空襲」「原爆」「沖縄戦」という、1945年以降の「末期戦」のみが殊更強調して描かれており、1943年以前の戦いの描写は皆無だったことを考えれば、寧ろ本作で、1943年のブーゲンビルでの山本戦死以降から終戦までは省略されることは、こういった従前の末期戦のみを描いてきたわが国の戦争映画の中にあって画期的といってよい。

 ただし、同じく「巨大な軍隊というシステム(あるいは戦争に向かう空気感というシステム)の中で、優秀な人間が己の信念とは正反対の境遇で死地に向かう」という本作の構造は、クリント・イーストウッドの『硫黄島からの手紙』の栗林忠道中将と全く同じであるが、イーストウッドが壮絶なる硫黄島激戦の映像化と、渡辺謙をして「此処はまだ日本か…」と言わしめたラストとの完成度を比較すると、本作は人物会話の部分などのカメラワークにやや凡庸に過ぎるを感じ、山本五十六の内的葛藤のやや不足するを感じざるを得ないが、それでも上記の点を鑑みて力作であるといえよう。


流石にイーストウッドの「硫黄島からの手紙」の脚本的・映像的完成度には勝てないが・・・

 また、原作半藤一利のマスコミ風刺は忠実である。敗戦後、一転して「民主化」を唱える軍国主義者の新聞屋、香川照之の胡散臭さ。対米開戦を煽るだけ煽っておいて、負けたらアメリカ礼賛一辺倒に豹変するマスコミ。これは中沢啓二先生の『はだしのゲン』で、鬼畜米英を唱えるバリバリの軍国主義者だった鮫島町内会長が、戦後「反戦平和」のお題目を唱える広島県会議員になっている、という「戦後知識人の胡散臭さ」に繋がる、見事な部分だと思う。戦前も戦後もこの国を駄目にしたのはメディアであるという部分は、非常に生かされていてこれも良い。

 私のような、戦史大好き人間には既知のエピソードが多く、若干物足りぬ(物語の構造上、仕方ないといえばそれまで)部分も残るが、近・現代史を知らない若い人にこそお勧めな、2011年最後の大作は十分に力作な戦争大作であった。



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