細部に宿る「カラフル」。原恵一監督「カラフル」と援助交際問題を考える。


*テアトルダイヤにて告知ポスター。平日昼間なのに満席の壮挙!

 原恵一監督のカラフルをテアトルダイヤに見に行って来た。無論、前評判の高い本作であるから当然期待は膨らんでの鑑賞である。平日昼間(公開より4日後)だというのに、池袋のテアトルダイヤは上映15分前には万席の壮挙であった!

 さて、端的に本作の秀逸な部分(大幅にネタバレしない範囲だが、微細なネタバレヲも許さないという方は例によってご覧にならない方が宜しい)を述べると、実は本作はかなりの部分が食事シーンが占めていることがわかるが、人物の絶妙な表情、食卓に並ぶ食物の細部(質感)、いま正に飯をもしゃもしゃ食っているのだなぁ、という食事のリアル感が極めて秀逸であった点に尽きよう。まさしく、これら緻密な細部表現は、細部に宿る色彩(カラフル)といって良いであろう。無論これ以外にも屋外に於いても食事シーンが満載であり、コンビニで買った肉まんを頬張ったり、ポテチを食ったりポッキーを食ったり、これはもうフード理論的な文脈で語るより他無い映画であることは一目瞭然であろう。

 フード三原則

「1,善人は食べものを美味しそうに食べる」
「2,正体不明者は食べものを食べない」
「3,悪者は食べものを粗末に扱う」

 であるが、この本作に登場するプラプラという天使(?)なのか何なのかよく分からない大阪弁の少年はちゃんと「フード三原則の3」に則って最後まで飯を食わないし、その他も主人公の少年と母親、それに父や兄と真理的距離感が描かれる場面ではきちんと食卓を共にしていないというフード理論が徹底されている。他方、父親と少年の距離が近づく場面ではやはりきちんと並んでラーメンを食べているし、ここもフード理論通りの展開。いやはや恐れ入る。


*正体不明者だけあって、本作の最後まで飯を食わ無いプラプラ。「フード三原則の3」を厳守。

==============ここから以下最後までネタバレ注意!==============

 さて、ここから先は本格的なネタバレに成るので、鑑賞前にネタバレなど言語道断という読者諸兄は眼を背けたほうが無難であろう。

 最大の着眼点は、本作を観て「泣ける」「感動した」という声をネット上で多く聞くが、実は私は本作で感涙の涙を流すことは無かった(この涙もろい私が!)のであるが、これは以下に述べる二つの本作における構造的問題に因るからに他ならない。

 まず第一に、「主題を台詞でいう」、これは頂けない。天空の城ラピュタで、いみじくもシータが「土から離れては生きられないのよ!」という主題(作品テーマ)を語らせることによって本作は駄作であると宮崎駿は後悔したと聞くが、そもそも本作のタイトルがイコール本作の作品的主題のそのものであり、それは良いとしても、更にその上からプラプラに台詞として作品主題を語らせるのは如何なものか。これはダメ押しでは無いだろうか。作品主題を如何にアニメ的演出で表現するかが、作品の質的完成度の成否を分けると思っているか私にはやや府に落ちない部分であった。

 そして第二であるが、主人公のマコトの自殺原因となった「ひろか」の売春(援助交際)であるが、これを本作では「最終的にそれ(売春)は人生のカラフル(色彩)のひとつである」と肯定するような位置づけで描写されていることが非常に気になった。母親の不倫はまぁ、最悪100歩譲って許すとして、年端も行かない未成年者である女子中学生が売春をして、それは人生のカラフル(色彩)の一部であるというのはちょっと呆気に取られる。

 私が保守的な価値観だから気になったのかもしれないが、いみじくもプラプラが「人は一度は間違いを犯す」というとおり、人間誰しも間違いはあるであろう。母親はマコトの自殺がきっかけに改心したからまだ良いとして、「私って頭が変なの!」というひろかに対して、平然と「それが普通」と言って肯定してしまっては、あのひろかという少女は今後も将来もずーっとバックが欲しい、靴が欲しいといって売春を続けるのではないか。そうなると、ひろかの将来に待っているのは人生の色彩(カラフル)などではなく、モノクロの虚無でしかないと思うのは管理人だけであろうか。「私って頭が変なの!」という彼女に対しては、「うん、君は頭が変だし、君のやっていることは間違っている、人生の色彩(カラフル)とは、売春をして高級ブランドを買うことではない」と教導するのが大人の、そしてアニメの社会的役割だと思うのだが如何であろうか。

 同じような売春(援助交際)を扱った作品に、かの庵野秀明監督がエヴァンゲリオン後(旧劇場版)に実写映画化して話題となった村上龍原作の「ラブ&ポップ」という傑作映画がある。この作品では、援助交際で宝石を買おうとする女子高生の主人公に対し、浅野忠信がハッキリと「その行為(売春)はNO!」と突き返す。だからこそ、この作品は傑作であるし、社会的テーマに満ちている。


 翻って本作の「カラフル」はどうか。前述の通り、非常に微細な心情風景や描写、日常の決め細やかな演出はどれをとっても細部に宿るカラフル(色彩)と言って良いであろう。しかし、上記のような人生のカラフル(色彩)の範疇に入る部分に、未成年者の売春まで含めてしまっては、これは果たして中学生が泣いたと言う感動作に当てはめてしまってよいのか疑問が残る。

 私はハッキリ言って、戦争中や内戦中でもなく、難民キャンプで暮らしているわけでもない、何不自由ない未成年者がさも「心の虚無」等と自身を社会性の中の被害者に祭りたて、それをさも「何か理解すべき対象、何か救うべき弱者」としてみる風潮が大嫌いである。翻って本作のひろかは、まさにそういうものの象徴として記号化されていた。村上龍の「ラブ&ポップ」の様に、まず売春(援助交際)という行為は大前提として否定しなければならないと私は思っている。このひろかの告白?の部分の背景にアンジェラ・アキの「手紙」がかかるのだが、『荒れた青春の〜♪』で途端に音が大きくなる。売春(援助交際)はそんな単純に『荒れた青春』の中に含めてしまってよいのだろうか。甚だ疑問である。人生のカラフル(色彩)の中に、そのような社会が矯正すべき未成年者の実態をさもやすやすと混入させて良いだろうか。果たしてその「犯罪(未成年者の売春)」すらも、人生のカラフル(色彩)なんだと、開き直れるほど私はリベラルではなかった。まぁ、それだけである。

 良作であり、力作であろう。しかし、主題をあえて台詞で言わなかった『オトナ帝国の逆襲』に比して、そもそも語るべきテーマ性の大前提に対する違和感がどうしても拭い切れなかったのが本作という感想である。私は本作をdisっているのではない。これは私の保守的な価値観の延長上の感触であることは自分でも分かる。読者諸兄はどう思われるか。

 



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