敗戦国が創った戦争映画は美しい


(左、2001年版。右、1993年ドイツ版)


 2012年の大晦日に、偶然CSをつけたらやっていた、ジャン=ジャック・アノー監督の「スターリングラード」(2001年)を観た。「たぶん面白く無いだろう」と思って今まで意識的には全編観なかった作品だった。本作はいわずとしれた独ソ戦最大の攻防である、ソ連工業都市スターリングラード攻防戦をテーマとした作品で、主人公はソ連の狙撃兵役のジュード・ロウ。対するドイツの狙撃手ケーニッヒ少佐(エド・ハリス)との狙撃合戦がメインの戦争活劇である。

 結論から言うと、この作品は私が観た戦争映画の中でも最悪の部類にはいる程のクズ映画だった。何がクズかって、馬面のジュード・ロウが登う見てもスラブ人には見えないとか、のっけから全編英語で「オーマイガッ!」とかいうソ連人民とかが萎え萎えなのだが、別に非英語圏が舞台なのに全編英語の戦争映画は「シンドラーのリスト」とかもそうだったし、タランティーノの「イングロリアス・バスターズ」を見習って欲しいとはいえ、まだ救いはある。問題はその映画的志の低さだ。

 野営地でジュード・ロウとヒロインのレイチェル・ワイズがまるでアメリカのティーンエイジャーのようにセ○クスしたり、それを受けて嫉妬に狂ったユダヤソ連人が自殺行為に走ったり、凄く軽いノリでジョークを言いつつ共産主義を皮肉っているかに見える(あくまでアメリカ風に)先輩の狙撃兵とか、ドイツ軍に包囲されて飢餓寸前なのに顔がツヤツヤで血色の良いソ連の子供とか、そんでもって結局ヒロインが迫撃砲(?)で胸をやられたのに次のシーンでは「ケロッと」して生きている大団円(1000万も死んでいるのにね)とか、あれだけ慎重だったケーニッヒ少佐が「あまりにも初歩的なミス」であっさり撃ち殺されるところとか、もう何をとっても「都合のよい西欧的解釈」でスラブ民族や当時のソ連人をこれでもかとデフォルメしているその勝手な脳の構造である。戦争を色恋沙汰の道具にしてしまう脚本のレベルの低さとその発想の貧困さに憤慨。

 松村邦洋が特攻隊員をやっていた映画(※君を忘れない)以来、久しぶりに殺意を感じた戦争演出の拙さである。ジャン=ジャック・アノーといえば「薔薇の名前」「セブンイヤーズ・イン・チベット」で一躍名の知れたフランス人監督だが、私は個人的には「薔薇の名前」のストイックさが好きな程度で、どうも反りが合わない。

 一方、同じスターリングラードを題材にした作品でも、1993年のヨゼフ・フィルスマイアー監督の「スターリングラード」(独)は本当に白眉の作品だ。統一ドイツが国家事業として製作した本格的な作品で、徹底的な時代考証と無慈悲なまでに観客をどん底に突き放す演出は、「嗚呼、本当の地獄とはこのことを言うのだ」という感覚に見るものを引きずり込む傑作である。私が大学生の頃、本作のビデオを友人に見せた所、彼はラストのエンディングから数十分、立ち上がれなかった程のショックを与えたという筋金入りの(?)作品である。時間がある人は是非ドイツ版の「スターリングラード」を見て欲しい。

 西ドイツ、統一ドイツには本当に優秀な戦争映画が多い。言わずと知れた「Uボート」もそうだし、最近では「ヒトラー最期の13日間」も然りである。当然、戦後のドイツだからヒトラーを少しでも礼賛する描写はできないが、さりとてそれでも日本の戦争映画とは違う所は、意図的に思想性を排除している点だ。戦争は駄目だとも肯定的だとも言わない。いや、なるべく言わないようにして、写実的に淡々と事実だけを記述していく。これは私は素晴らしいと思う。最近の日本の戦争映画は必ず「戦争は駄目(悲惨)だ」若しくは「あの戦争は正しい(面も)あった」のどちらかに寄る(最近は後者か)。もちろん私は個人的にあの戦争は正しい部分があったと思っているが、映画にした時にその思想を画面に落としこんではたちまちその作品は陳腐化すると思う。

Uボート」のラストでは英軍が封鎖しているジブラルタルの難関を突破し、艱難辛苦を乗り越えた末に地中海にたどり着いた後、あっけなく空襲で沈んでいく潜水艦をただ呆然と見つめる船長。そこにはドイツの未来とか第三帝国の崩壊とか戦争がイケナイとかそういう政治的な思惑云々ではなく、ただ「Uボート」の終りと一人の船乗りの人生の終末があった。ドイツ版「スターリングラード」では独ソ両国の大量の死の後にただただ広大なロシアの白い白い氷土がどこまでもどこまでも広がっていた。戦争が悪かったとか、戦争は良かったとかそういう問題ではない。「嗚呼虚無だなあ、何にも残らねぇんだなあ」。そういった虚脱感を残してくれる戦争映画こそ私は最高の映画だと思う。

 そういう意味では、実質的にアメリカが「敗戦」したベトナム戦争を扱った映画には傑作が多い。私が個人的に最も好きなスタンリー・キューブリックの「フルメタルジャケット」のラストは、ベトナム戦争が悲惨だったとかアメリカの戦争犯罪とか、そういうメッセージ性はなくて、ただただベトナムの廃墟の中で兵隊たちがミッキーマウスのテーマを歌いながら終わる。そういう虚無と静寂こそが、実は最も、言葉で100万回「反戦」を言うよりも効果的なんだとスタンリー・キューブリック監督はわかっていたのだろう。

 「男たちの大和」とか「俺は君のためにこそ死ににいく」とか、最近の「保守史観」に寄った日本映画は実はそういう意味ではあまりというか結構好きではない。ものすごく嫌いではないがハッキリと好きには成れない。「戦メリ」の方がよっぽど良い。その理由は既に述べたとおりだが、これまでの、特に90年代以降の邦画がすご〜く自虐史観に染まっていたので、やむを得ない反動だとは思うが、映画としては決してレベルが高いとは言えない。いや寧ろ低い。そういう意味においても高畑勲の「火垂るの墓」は実に虚無感が出ていて好きだが、またぞろこの作品が毎年8月にテレビ放映されることにかこつけて「反戦平和を訴えた素晴らしいアニメ作品」と解釈する政治屋のせいで不幸な評価に振り回された作品となってしまった。

 ジャン=ジャック・アノーのように現代的価値観で勝手に戦争当時をデフォルメするのでもなく、自虐に寄るのでも、「あの戦争は正しかった」路線の思想を混ぜるのではなく、ドイツ版「スターリングラード」のような虚無の超大作映画が、現代日本人の監督の手によって、そして最新のCGやら技術やらを駆使して作られることを切に希望したい。

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