ヘタリア放送中止〜史実と擬似歴史の狭間で〜


 読者諸兄ならばご存知のとおり、「ヘタリア」というWEB漫画がCSのキッズステーションでアニメ化されることになっていたが、「諸般の都合」により放送は中止とされ、ストリーミング配信に切り替えられたという所謂「ヘタリア放送中止騒動」がつい最近起こったことは記憶に新しいことであろう。

読売新聞 1月16日WEB版 ”アニメ「ヘタリア」放送中止韓国側に配慮か”
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20090116-OYT1T00912.htm

 この騒動の真相が、韓国のネチズンらによる抗議である、というのはこの際例えそうであったとしてもあまり本筋とは関係がない。作者である日丸屋秀和氏の描く漫画「ヘタリア」自体、管理人はつい最近知ったことであるが、このようなWEBコミックが、例えキッズステーションというCS放送局でも放送されるということ自体、「日本もずいぶんと変わったなぁ」という強い印象を持ったものである。結局、上記のとおり放送には至らなかった訳であるが、この手の漫画がWEBコミックとして広く受け入れられ、単行本として商業ベースに乗り、そしてアニメ化放送の企画さえ立ち上がるというのは、1980年代や1990年代後半までは考えられなかったことである。

 言うまでもなく、わが国においては戦争表現、特に先の大戦に関する肯定的な表現は大変なタブーであった。「ヘタリア」の様な第二次大戦のパロディだったとしても論外である。そもそも、先の大戦をパロディ化することなど大衆表現で許される状況ではなかった。1990年代後半以前のわが国のこういった現象は、先の大戦については「日本が東アジアを侵略し、アジア人種に多大なる精神的苦痛と損害を与えた」という村山談話に基づく歴史観がベースになっており、この時代の映画や出版物も、純然たる歴史検証や軍オタを対象とした一部雑誌等ならともかく、少なくとも大衆作品においては日本軍=残虐、アジア人=犠牲者というベースで話が展開されていった。そして軍部にだまされた一般の国民が戦渦の犠牲になったのであり、当時の戦争指導者が如何に悪であったのか、そして軍国主義の下で特に朝鮮人日韓併合以降の朝鮮半島出身者)が辛酸を舐めたという事実を殊更に強調した内容が殆どであった。

 この様な所謂「自虐史観」が大きな転換を見るのが、大衆漫画や表現レベルに於いては1990年半ばごろより展開された小林よしのり氏の「新・ゴーマニズム宣言」であった事は衆目の一致するところであろう。小林氏は自虐史観からの転換を訴え、太平洋戦争を「大東亜戦争」と言い換え、左翼に洗脳された学校での歴史教育の矛盾を漫画上で指摘していった。このころから、明らかに大衆表現での自虐史観が変わり始める。左翼は「日本の右傾化」と嘆いたが、件の北朝鮮問題と相まって、大衆レベルで「戦前日本の賛美」が公然と言われるようになり、その中心がインターネット社会(2ちゃんねる)であった。戦前・戦中の日本の近代史を肯定的に見直すという、まるで「巻返し」のような歴史観の転換は急速に広がり、「日本による朝鮮・台湾の植民地支配は善政であった」「南京事件の犠牲者数は中共政府のプロパガンダでありでっちあげ」「靖国参拝は日本人として当然」など、それまでの「自虐史観時代」ならば表明しただけで社会的生命を抹殺される様な主張が公然と拡散し、「ネット右翼」なる言葉も頻繁に登場する。曰く、「中国・韓国」は先の戦争の被害者面をした加害者であり、こういった連中に阿る現在の日本のマスメディアこそ残存左翼の中核であり、ネット右翼の主張こそが客観的で真実然とした歴史観なのである。という風潮が今を以って蔓延している。

 これら「小林よしのり氏発、インターネット(2ちゃんねる)経由の草の根歴史巻返し運動」の一連の過程で登場したのが、話を最初に戻すと今回の「ヘタリア」というWEB漫画に他ならないと管理人は考えている。「ヘタリア」という漫画は、先の大戦に登場したイタリア・ドイツ・日本という枢軸をはじめ、時の連合国、米・英・仏・中・ソなどをボーイズラブ風に擬人化した擬似歴史漫画である。これらすべての作品は、http://www.geocities.jp/himaruya/hetaria/manga.htmにて無料で公開されており、作者兼運営者の日丸屋秀和氏の情熱は脱帽に値するのである。


 さて、今回の放送中止というキッズステーション側の判断が善であったか悪であったか、そしてこの「ヘタリア」というWEB漫画作品が面白いのか面白くないのか、という論評を管理人は敢えて行わないことにする。先の大戦での枢軸の一角であった「イタリア王国」が「へたれ」(要するにチキンである)というインターネット上のコピペを基にして作者なりに検証したイタリア軍=弱兵という歴史的イメージを茶化しての「へタリア」というタイトルが不謹慎であると言うつもりはないが、この「ヘタリア」という漫画が上記で述べた一連の「草の根的歴史巻返し運動」の延長上にあるとの認識に立つのならば、いささか昨今のこうした「巻返し運動」の軽薄さにこそ、管理人は警鐘を鳴らし、問題としたいのである。

 先に述べたとおり、この手のWEB漫画をこつこつと執筆して無料で公開し、結果として作品が幾多のファンに愛されている現状を批判するものではまったくないのである。しかし、この「ヘタリア」というWEB漫画を紹介する他サイト等でのあおり文句が、「楽しく歴史を学べる」というのは笑止である。歴史上、近代イタリア軍が弱兵であったか否かというのは正直管理人は近代西欧史の専門家ではないので分かり兼ねる。第一次エチオピア戦争、など個々個別の事例を見ていくとそうであったと思われる歴史的事実もあったやもしれない。しかしながら、歴史の評価でくれぐれも慎重にならないといけない事は、「こういう事例があったから○○国はこうなのである、○○人はこういう民族なのだ」という短絡的な決定に他ならない。上記で述べた、「草の根的歴史巻返し運動」自体、管理人はまったく悪いことだとは思えないし、これまでの自虐教育の反動でやむをえないと思うときもある。しかし、このような運動の延長上の中核のひとつである、所謂「歴史フラッシュ」(その多くが近代日本史・世界史に対する日本に対する肯定的な評価)が製作され公開されているのであるが、「とある歴史的事実がこうであったから、日本は善であった」という紋切り型のきわめて安直な歴史観が蔓延していることに管理人は警鐘を鳴らしたい。
 歴史とは重層的に折り重なって構成されているものである。当たり前のことだが、満州事変と真珠湾攻撃に関連がないということは出来ないし、日露戦争における日本海海戦の勝利と明治維新に何ら関連がないというのはありえない価値観である。当然のことだが、これらの出来事は全てつながっているのであり、個々個別の歴史的事実や事件を独立別個のものとして評価することは出来ない。歴史的事実や事件は、その歴史的な文脈の連続と不可分であるからである。このような重層的な歴史観は、歴史を過去から現在に至るまで「体系的に学習」してこそ始めて養われる歴史観であり、歴史学習には必須のものなのであるが、昨今の「巻返し運動」にはこの様な姿勢が見られないのである。

 管理人は昔、「エルトゥールル号で日本とトルコの親交が深まった」という2ちゃんねるの歴史フラッシュを見て涙を流している人を知っているが、この後、第一次大戦でトルコが日本に宣戦布告しているという事実をこの人は知らなかった。また、「チャンドラボースが日本に来てイギリスに搾取されているインド独立のために奔走し、大東亜戦争の教訓は戦後のインド人に多大な影響を与えた。またインドネシアでも戦後残留日本兵インドネシア独立の戦いに加わった」という歴史フラッシュの中では、ビルマのアウン・サンが戦争末期に日本を見限って抗日戦を始めたと言う歴史的事実には一切触れられていなかった。確かに、エルトゥールル号も、インド・インドネシアの独立も、事実そうであったことに間違いはないであろう。しかしそれだけで、「トルコは絶対的な親日国である」「大東亜戦争当時アジア人全員が日本の味方だった」というある一事実から導き出された短絡的な結論は、そもそも歴史観としては無理があり薄っぺらい価値観ではないだろうか。当たり前のことだが、ドストエフスキーの「罪と罰」の中盤20ページだけを読んで、ドストエフスキーという歴史的作家の評価をすることは出来ない。しかし、実際に彼ら「草の根的巻返し運動」がやっていることはまさにそれと同じことなのである。とどのつまりは、自虐史観をやっている左翼と語り口が真逆になっただけで何にも変わらないのである。
 翻って、今回の「ヘタリア」にも、同じ事が言えるのではないか。エチオピア戦争でイタリア兵が現地の土人に負けた、という事実や「走る棺桶」とまで馬鹿にされた第二次大戦当時の北アフリカでのイタリア軍の脆弱ぶり(ムッソリーニは独力では北アフリカの英軍に対抗できないのでヒットラーに助けを求め、結果としてロンメルが派遣される)は、事実そうであったとしても、だからと言ってヨーロッパ列強の一角であったイタリアがチキンであるという事にはならない。そもそも、当時のイタリアは西欧ヨーロッパでも遅れた時期に成立した近代国家であり、それでもなおかつ工業化を果たして植民地拡大に参加しようと画策していた。第一次エチオピア戦争で現地人に敗北したのは、イタリア軍が弱かったというよりも当時のエチオピアがアフリカ唯一の黒人独立国家として存続しており、皇帝が極めて先進的な名君であり兵数も武装もイタリアの予想よりも高かった、という事にも原因を求めることが出来よう(事実、その後の第二次エチオピア戦争ではイタリアはエチオピアを屈服させ植民地としている)。侵略者が被侵略国の現地軍に撃退されるのが「ヘタレ」であるというのならば、カスター将軍率いる第7騎兵隊が、インディアンに包囲されて全滅した19世紀のアメリカも「ヘタレ」であり、1939年から始まるソ連フィンランドの戦争、所謂「冬戦争」も、数十倍の兵力の赤軍少数のフィンランド軍相手に一方的な損失を出し続けた当時のソヴィエット連邦も第一級の「ヘタレ」なのではないだろうか。このときのかの国がヘタレであるなら、そのすぐ後に始まる、フィンランドよりも武装も兵数も桁違いに上のドイツ軍に打ち勝つことが出来た説明にはならない。

 このように、「○○だから○○国(○○人)はこうなのである」という短絡的な「レッテル張り」にも近い発想は、悪い意味で「近代的発想」そのものである。近代という時代の重要要件は”国民国家”という概念である。言い換えれば、○○人とはこういうものだ、という集合意識が発生したのが近代であるといえよう。近代以前には、フランス人もイギリス人も日本人もなかった。例えば日本なら、「日本人」というカテゴライズは公には存在せず、「伊勢国A荘B村の太郎四郎」というように、その地域に住む一個人しか存在し得なかったのである。それが、初めて「○○国人」という集合意識・集合認識が発生して近代世界がスタートした。曰く、「日本人は真面目」「ドイツ人は計算が得意」「イタリア人は女好き」「イギリス人は紳士的」というイメージの殆どは、本当であろうとなかろうと近代的発想そのものである。

 当たり前のことだが、われわれ日本人にもクソ真面目な奴もいれば時間にルーズな奴もいれば和服を着たことのないものもいる。日本人といえども多様、という当たり前の事実を「○○人だから」という風に類型化してカテゴライズして語る、という文脈が当たり前だったのがこれまでの近代社会である。ライムスター宇多丸氏がTBSのラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」の中で、最近始めたコーナー(ザッシ・トゥ・ザ・フューチャー)で興味深いことを仰られていた。80年代半ばまでは、「これがダサくてこれがナウい」というカテゴライズの元での文脈こそが全てであったが、80年代半ばを境にしてそういった文脈が急速に消滅していった。要するに、「これがダサい」「これがナウい」という文脈そのものが陳腐化したのが80年代後半からである、という事である。言い換えるのであれば、「○○だから○○国(○○人)はこうなのである」という文脈も、これとまったく同じ旧世代の文脈なのではないだろうか。宇多丸氏は、「これがダサい」「これがナウい」という文脈で物事を語れなくなった80年代後半以降の時代、すなわちそれほど多様化したのが現在なのである、と述べられているがまったくそのとおりである。「日本人はこう」「イタリア人はこう」という文脈で語れないほど多様化したのが現代世界であり、もっと言うならばそれこそが冷戦崩壊後の現代なのである。翻って、「イタリア人はヘタレ」というのは、「国家や民族をカテゴライズして語ることが出来るほど類型化が単純だった冷戦以前の文脈」に他ならないのである。

 日本人は何故だかこの「冷戦以前の文脈」が好きな様に思える。いまだに民放の特番で「県民性」というくだらないバラエティを性懲りもなくやっている。曰く「秋田県人は貯金が好き」「名古屋人(愛知県)は見栄っ張り」「京都人(京都府)は腹黒い」という奴である。これほどくだらないテーマを延々とやっているテレビ局もどうであろうというが、これが視聴率15%とか実際にとっているのだから視聴者側のレベルも推し量れるというものである。いつも思うことだが、「大阪人はがめつく、兵庫県人はおしゃれが好き」などと言うなら埼玉出身で京都に親戚がいて、大阪の大学に通っている兵庫・大阪の県境である所の川西市池田市に住んでいる人間が居たらそいつをどこの県民性の文脈で語ると言うのだろうか。いまだに血液型A型はこう、O型はこう、などという疑似科学が大好きな日本人は、話を元に戻すと前述の「こういう歴史的事実があるから○○国はこうである」という、まるで擬似歴史に翻弄されているような気がしてならない。今でもあるのか知らないが、一時期「江原啓之」だの胡散臭い詐欺師然とした連中が前世だのスピリチュアルだの盛んに喧伝していたが、こういった疑似科学とこの擬似歴史は「事実として確定していない個人の思考をさも事実の様に紹介し、尚且つ短絡的で分かりやすく論評する」という一点で類似性があると思わせてしまうのだから恐ろしいことである。

 
 さて、繰り返すようだが管理人は日丸屋秀和氏のWEB漫画「ヘタリア」を批判するわけでも、そして今回のキッズステーションでの放送中止を支持するわけでもない。しかし、このWEB漫画「ヘタリア」を読んで歴史の勉強になる、などとは間違っても思わないで頂きたい。繰り返すようだが、歴史は重層的であり、とある時代のごく一部分を抜き出して全体の評価を語ることなど出来るわけがない。体系的な歴史の勉強をしていない者が、「ヘタリア」を読んだり観たりして、「ふ〜んイタリア人って軟弱なんだね」と思ったのだとすればそれこそイタリア国民に対して非礼であることこの上ないのである。無論、体系だって第二次大戦史や近代史を学んだ上で、パロディとして「ヘタリア」を楽しむなら何ら問題はない。むしろ、作者の日丸屋秀和氏もそういうスタンスなのだと思う。(と、管理人はあくまでこの作者と作品については好意的なスタンスをとり続けたい。きっと日丸屋秀和氏は、インターネットに頼らない他の正攻法で近代史を綿密に勉強された結果、この漫画を執筆されたのであると思いたいし、そうであって欲しい。そうでないのなら、日本の近代史教育は敗北である)

 当たり前だが、先の大戦の時代、軍民ともに個人の性格的に臆病だったものは居るかもしれないが、今現代を生きる読者諸兄が決して面白おかしく何となく惰性で生きていない(少なくともそうならないように頑張っている)のと同じように、あの時代を生き抜いた祖先たちも、毎日を生きるか死ぬかの、ともすれば現代の何倍もの緊張感を持って生き抜いていた。大戦末期まで中立であった中南米の国々はともかく、ソ連・米・英・中の連合国民やまして枢軸の日本をはじめドイツやイタリア国民は、餓死や戦死の恐怖と戦争の不条理さ、そして将来の絶望と同居しながら、必死にあの狂気の戦争の時代を泥水をすする様に、耐え忍んで生き延びたのである。ヘタリアヘタリアと言うが、全くとんでもない事で、イタリアはムッソリーニが「未回収のイタリア」等と言って第二次大戦に参戦したのは良いが、その後程無く敗北を重ね、トーチ作戦(連合軍の北アフリカ・モロッコ上陸)、ハスキー作戦(連合軍のイタリア領シチリア上陸)などでついにムッソリーニファシスト政権が崩壊してからは王党派のヴァドリオ元帥が政権に付き連合国に降伏、逆に枢軸に宣戦布告した。のはいいがイタリアの苦難は終わらず、今度は降伏した後にイタリアに居座ったままの駐留ドイツ軍・およびサロ共和国イタリア社会共和国・ドイツの傀儡国家)との戦闘が始まったのである。イタリア半島は中央に山地を抱える地形的な構造である。この守備側に有利な地形を利用して駐伊ドイツ軍は防衛ラインを構築。このゲリラ的なドイツ軍の抵抗戦法が犠牲者を拡大させた。ドイツ降伏までイタリア半島での戦闘は続き、終戦までにイタリア人の軍民戦死者およそ60万人。ドイツ400万人、日本300万人と比べると少ないとはいえ、そもそも人口が少ないのだから人口比でいうと膨大な戦災をこうむったのである。

 この、ムッソリーニ失脚後のイタリア半島での地上戦の惨禍は、かの巨匠ロベルト・ロッセリーニの名作「無防備都市」に詳しいので是非視聴いただきたい。「絶望」の二文字がぴったりの暗い映画だが、これを観たら決して「ヘタリア」なんて管理人は言えない。絶望と恐怖の中で、イタリア人民は必死に生き、懸命に生き残ろうともがいていたのである。


 この後、地上戦(半分内戦)をやったイタリアは事実上の敗戦国として領土も削がれ、海外植民地も全部没収となる。戦争で疲弊したイタリアは、戦後日本と同様の高度成長で見事に西欧の工業国としての地位を回復し、戦前以上の国力を持つまでに至った。このイタリアの戦後史は、実はニュー・シネマ・パラダイスという名作映画に詳しい。


(*ニューシネマパラダイス。主人公は終戦直後のシチリアの貧しい地方都市の生まれ《電化製品もなく、路地裏で戦争未亡人が風呂桶で洗濯物を洗う、みたいな貧困》で、数十年ぶりに北イタリアから故郷のシチリアに戻る、というお決まりの感動話である。実はこの映画の最も感動する部分は昔の恋人との再会なのでは無く、戦後見事に経済復興し、土臭かったシチリアの田舎町がフィアットフェラーリが至る所に路駐してある近代的な街として主人公を迎えるラストにあるのだ)


 
 「ヘタリア」という作品をアニメ化する企画は存続され、代替案としてストリーミング配信されることは変わらないのであるが、是非とも「ヘタリア」と併せて無防備都市や、ニューシネマパラダイスをご覧いただきたい。ヘタリアはあくまでも純然たるパロディであることを留意いただき、くれぐれもこの漫画やアニメを見て歴史の勉強になったなどと思わないことだ。実際のイタリアもイタリア人もヘタレなんかではない。日本人と同じく、あの狂気の戦争の時代を生き抜いた同胞である。





 全く余談だが、HOI2(ハーツオブアイアン)でのイタリアはかなりやってくれる。
詳しくはアトリエサード・徳岡正肇氏のAAR「世界は我々を軸として回る(イタリア)」
http://www.4gamer.net/weekly/hoi2/006/hoi2_006.shtml
を参照のこと!


*関連記事で秀逸なもの
ヘタリア』作者の浅さと、読者の責任とby法華狼の日記
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20090117/1232170184





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